◆事実、知識、資格、能力、価値観、正義、ポジショントークに終始する現代人
YouTube「謎解き統計学Ιサトマイ」の金融リテラシーに関する動画で、“自分は金融リテラシーがあるかないか”を7段階で1(知らない)~7(知っている)を自分で評価するとある検証について紹介されていた。
動画内で紹介されていたのは「実在しないデタラメの金融関連の専門用語3つについてあなたはどれくらい知っていますか?」という問いに対して、金融リテラシーがあると思っている人は「知っている」の7を評価点としてチェックしたらしい。確かに、それっぽい専門用語的な字面ではあったんだけど、私は3つとも聞いたことがないワードだったため1と回答してみたが、蓋を開けてみればデタラメだったということで、私は自分で金融リテラシーがあるなんて思った試は一度もない。
サトマイさんが統計学によって何を示したかったのかというと、上記の例のように「自分では金融リテラシーがあると思い込んでいる人たちほど、知らないことでも知っていると答える傾向がある」ということらしく、例えば、学生時代に経済学を学んだり、ファイナンシャルプランナーや証券アナリストなど、金融関連の資格について勉強したり資格を取得したりした経験のある人たちほどそういう傾向が顕著に表れるということらしい。
で、これは一つの例であって、何も金融に限ったことではないということをここではお話をしたい。もうね、「自称〇〇」的な取って付けたような肩書を名乗っている人たちの大半は、その道のプロであるわけではなく、とにかく雲泥の差の大きいピンキリだということ。
あまり極端な表現は好きではないんだけれども、一番身近なところで「普通自動車運転免許」を例にすればすごくシンプルでわかりやすい。仮に、去年の一年間で同免許を取得した人たちが200万人いたとしよう。国が交付する免許資格だから、交付日に免許証を受け取ると同時に「今日からあなたは自動車を運転してもいいですよ。」ということになるわけだ。
誰もが最初は若葉マークを付けて運転初心者として車に乗るわけだけれども、毎年ゴールデンウイークにもお盆休みにも年末年始にも高速道路の長距離渋滞が発生するシーズンに玉突き事故が毎年どこかで必ず起きていて、道路交通法違反だけで言っても駐車違反やらスピード違反やら、時には煽り運転による危険運転致死傷などの罪に問われる人もいたり、過失運転で事故を起こす人も少なくない。
道路交通法に関するルールやら刑罰法規やらについて学び、実地試験をパスすることもできて、免許を取得したはずの人たちが後を絶たない。自動車メーカーの涙ぐましい努力により安全性能もこの50年で加速的に向上してきたにもかかわらず、結局のところ車を運転する人間の扱い方によって様々な結果に至っている。
法やルールが定められていてもこの有様。さすがにもう運転免許を取得するために存在する自動車学校や試験場のやっていることは、大して自動車運転関連の事件事故の抑止のためには貢献できていないのではないかと疑わざるを得ない。30万円前後のお金を支払って取得する運転免許証1枚が引き起こす様々な事件事故は、その程度の額では到底償い切れないほどのもので、法の下に運転者本人の責任はどれほど重く、どれくらいの量刑が適切かという議論はかなりズレていると言わざるを得ない。
なるほど、そのために自賠責保険とか自動車保険とかがちゃんと用意されているわけか。うーん、なるほどなるほど。ある程度年間にどれくらいの保険料が支払われて、どれくらいの補償金を支出するか、大体計算されているわけか、なるほどー。「交通事故は起こるもの」という前提の上に成り立っている保険ビジネスなわけね。でも、私はこれがそもそもの元凶なんじゃないのかなと思えてならない。
人身加害事故の場合の補償金がいくらで、ケガをさせた場合と死亡させた場合と・・・ふむふむなるほどーっていう前提があることで、等級によって毎月支払う保険料は異なるものの、巨額の賠償に備えたこういう仕組みは、社会的な貢献度はあるのかもしれない。でも、功罪で言うところの罪の側面もあるんじゃないの?
運転免許証を持つ人たちの誰もが「オレ運転うまいし、絶対に事故らない」などと思い込んでいるとは言わないけれども、でもさ、そう思い込んでいる人ほどスピード違反で捕まったり、交差点付近の黄色い線を跨いで車線変更して減点されたりしてるんじゃないのかね。
バレなきゃいいという過信があるからルールを破るんじゃないかね。でも、何十年もそういう性質を持つ人たちをフィルタにかける手段を持たない免許制度はずっと放置され続けてるよね。法やルールや刑罰法規について正しく理解できている人たちの中に、それらを破る因子を持つ人たちをピックアップする手段が開発されれば、「あなたは適性テストの結果、これこれこういう理由で運転免許試験の受験資格を得ることができません。」と突っぱねることもできるんじゃないかね。
世の中にはさ、事実が事実として世間一般に認識されているにもかかわらず、それを強引に捻じ曲げたり、捏造したりして、「在りもしないことをあたかも事実であるかのように主張すること」を平気でやる人たちがたくさんいるでしょ。そして、裏を取るなどの確認をせずにそういう妄言を信じる人たちもたくさんいる。
で、厄介なのは、主張する時には悪意がないかのように涙ながらに主張したりするから、なおさら情にほだされて鵜呑みにしちゃう人たちが後を絶たないという点ね。最近やたらと騒がれているColabo問題や赤い羽根募金問題とかがまさにそう。
多くの人々の善意で集めた募金を訳の分からん団体に配分して、実際に何に使われているのかが不透明だったり、そもそも中央募金協会?かなんか、大本として全体を管理している組織の監査基準もあやふやだったりして、連日闇が暴かれるのを心待ちにしている人たちの注目を浴び続けている。
元AKBアイドルの不倫騒動があっという間に火消しされてしまうくらいの猛スピードで大炎上しているようだけれども、敢えて両方の共通項を挙げるとするならば、やっぱりお金だよね。70万円のバッグを買ってくれるやり手ベンチャー若社長が火だるまになっているけれども、某NPO法人に2000万円以上助成金を配分したかと思いきや、中身がとんでもないことに使われているらしい話が噴出していて、お金の扱い方を誤ったのか、意図してルールを破ったのか、とにかく世間からバッシングを浴びる結果に至っていることは言うに及ばない事実であるわけで。
これをね、女性蔑視だ性差別だなんだと騒ぎ立てているNPO法人の代表である女は必死に事実を否定し、関係各所あちこちに噛みついては暴言ツイートを連投しているという状況。
多分こうした事案の渦中の人物たちもおそらくは金融リテラシーがあると思い込んでやってきている人たちの一部なんだろうね。現に金銭的なトラブルを引き起こしているわけだからさすがに否定しようがないでしょうに。きっとね、連日叩かれまくっているとしても引っ込みがつかなくなって認めるタイミングを逸してしまった可能性も大いにあるだろうね。
そんな彼らにも最初は大義を掲げ、それに則って活動をしてきたのかもしれないけれども、魔が差したのか、道を踏み外したのか、何かしらの圧力に付き従った結果なのかはわからないけれども、Colabo擁護派みたいな政治家も現れたりして、気が付いたら外野同士で殴り合いの喧嘩のような事態にまで発展してしまっている。そんな彼ら個々人にもきっと正義があるのだろう。
こういうことが起こる度に、やっぱりTwitterは使わないほうがいいなと再確認するんだ。私のnoteのプロフィール欄にも書いている通り「Twitter×」の認識は今後も改めることはないだろう。
確かにね、情報化社会と言われるようになった頃から10年そこそこでスマホが社会に普及して、誰もが一定レベル以上の知に振れるのが当たり前になって、知りたければいつでも簡単に調べて知ることができる現代においては、誰もが物事に対して知った気になりやすい時代なんじゃないかとも言えなくはない。その分だけ、悪さをする人たちも賢さを増していき、その分だけ取り締まる側や管理する側も技術を向上させてきてもいるため、トラブルは減るどころか増えていき、質に関して言えば巧妙化していく一方なんだよね。
昔は特殊詐欺の演技も三文芝居レベルだと軽視されていたものが、今となってはありとあらゆる偽装を駆使して、市職員、警察官、弁護士、検察官、裁判官などの公職者を装う電話や銀行員と偽る対応など、人を騙そうとする側はやりたい放題。年々、成功例よりも失敗例の前例が詐欺グループ側にも蓄積してきて、巧妙化するスピードが加速している可能性だって十分に考えられる。
悪いことをしていなくても、悪いことをしていても、人が経験や学習によって知り得たあらゆる知識や身に付けた能力や技術というのは、知った気になっている人たちほどトラブルを量産する要因になりやすい、ということ。何かしらに詳しいということ誇らしげに、自慢げに語る人ほど要注意ということをサトマイさんは言っているのかもしれない。
言葉だってそうだよね。自称〇〇と肩書を付けている人たちの言葉は、一見するとその道のプロかのように見えて、話を聴く限りではそれっぽく聞こえたりするけれども、警戒心をゼロにして鵜呑みにしていい材料にはならない。それが自称〇〇の落とし穴。
国家資格を持っている人間が必ずしも信用に足る人物であるとも限らないわけで、露骨に資格をプッシュしてくる輩にはやっぱり注意したほうがいい。弁護士だって悪さするし、市民の安全安心な生活を守るためとされている警察官や消防士や自衛隊員だって悪さをする。
その人の人格とその人が持っている資格の社会的信用は等価ではない。先ほど例に挙げた運転免許証もそう。運転免許を取得している人だからと言って故意に危険運転や道交法違反を絶対にしないと信じるに足る根拠はどこにもない。
伝わるかな、今回の文章。ポジショントークで言うと、人はある時から突然立ち位置が変わることがあり、それと同時に考え方も言うことも、場合によっては正義さえも立ち位置によって変化する。
立憲民主党を離党した女性が無所属で自民党応援の下、岐阜県議会選挙に立候補することになったという報道に対し、立憲民主党党首の泉代表は「裏切り、背信行為だ」と痛烈に非難していたけれども、残念ながら致し方ない。確かにやり方やタイミングは間違っていたかもしれないけれども、それを覚悟で自民党へ移籍する形になったことを察するに、立憲民主党のイメージが崩れてきていることに危機感を感じたのかもしれない。逆を言えば、そうまでして離党するくらいの信念や覚悟や正義や大義があったのだとすれば、立憲民主党はそろそろ危ないのかもしれない。
総人口の1%しかいないんだよ、本当に優秀で並外れた能力を持っている人たちというのは。そして、総人口の約10%があらゆる恩恵に与かり、財や力を持っている人たち。残りの約90%前後の人たちは大差ない塵芥同然の存在。この部分だけ見るとすごく見下した表現に見えるかもしれないけれども、再三言っている通り私も塵芥の一人。凡人。大したことは何もできない人間の一人。でも恥ずかしいなんて1mmも思わない。
どんなに優秀な人間たちがいたとしてもこんなにも社会は乱れ狂うのだから。というところから考えるに、人が持つ能力の優秀さというのは、国全体を好転させるだけのパワーはないのだとこの3年間で立証されたのではないだろうか。
仮にね、今このご時世に10億円以上の資産があるとして、そのことが自身の幸福度とイコールかというと絶対にそんなことにはならないと思うんだよね。おそらく、莫大な資産を持っている人たちほど、「こんなに裕福になったにもかかわらず言うほど楽しいことも面白いこともない湿気った世の中だな」と感じているんじゃないだろうか。
逆にね、お金がないから不幸だなんて思い込んでる人たちも一概にそうとは言い切れない世の中でもある。好景気だろうと不景気だろうと共通して言えることがあるとすれば、「欲望まみれの人間はいつの時代も不幸だ」ということ。人様の善意として集まった募金で私腹を肥やすおバカさんたちには、生涯忘れられないほどの制裁を与えてあげたほうがいい。
NPO団体にも当然ピンキリあるんだろう。今みたいに悪さが明るみになればなるほど、厳罰化が進み、分断が進み、より窮屈な社会になっていくんだろうね。でも、過度に厳罰化が進んでも、よくよく見返してみると何の効力も持たない意味不明な項目が並んでいたりもする。ブラック校則みたいに。規則を定めるのは簡単なんだけれども後追いをして検証修正していくことは時間も労力もかかって大変なんだよね。
誰も正解を知らず、何をどうしていいかわからないというのが現代社会なのかもしれないね。でも、何かしらトラブルを起こす人、トラブルに巻き込まれる人というのは、「中途半端に知った気になっている人たち」ということはなんとなくわかるよね。そろそろ知識や資格の脆さに気付く頃かな?
残念ながら何年かの実績があったとしても、本当にその人の功績かどうかをハッキリさせないことには認めようがないし、仮にそうだとしてもその人の人格を代替できるほどの説明力を実績や実務経験が証明するわけでもないという理屈は忘れないようにしておきたいね。
我田引水も、最初のうちは順風満帆に思えていても、環境や状況が変化して何かしらの問題が発生すれば、自分たちの田んぼに流し込んだ水(利益)が問題が発覚した瞬間から賠償だったり返金だったりの責任を負うことに繋がる。目先の利益に飛びついても決して良い結果に至るとは限らないわけで。
ChatGPTというAI自動文章作成アプリケーションは今年中には4.0へバージョンアップされるらしく、精度も飛躍的に向上するのだとか。でも、AIが書いた文章を正しく読み解くことができないままに信じてしまうようなことが今後起こり得るけれども、AI信者の発言や行動が今後ますます注目されるべき課題になるだろうと私は予測している。今のところ大変理屈っぽく起承転結はしっかりしていて論理がまとまっている感じはするけれども、過不足のない綺麗な文章ほどAIが書いた文章であることが今後ますますわかりやすくなっていくのだろうと思う。
AIにマネできないのは人の感情や感性の細かい描写。だからアートも文章もAIに頼り切りになっていいわけではない。その意味を履き違える人たちはすべて、自分の知能をAIに代替されることになる。とはいえ、AIには勝てない。AIを使って人が学習する側に入れ替わるようになるのだから、これまで以上に人は賢くなっていくのかもしれないが、知った気になればなるほどトラブルメーカーになる可能性があることは念頭に置いておこう。