「身体の自由度」
いつものようにヨガに取り組んでいると、ふと「身体はどこまで自由なのか」という問いが降りてきた。
「なに不自由なく身体を動かしている」と思っているけれど、はたして本当に「不自由なく」なのだろうか。
数学や統計学などにおいて、自由に決めることのできる値の数を「自由度」と呼ぶ。
自由度はまた、ある系(システム)の「次元」とも言える。
身体を単純化して頭・胴体・手・足の4つからなる系だとすると、それらは胴体を介して互いにつながっている。
「手を伸ばして何かをつかもう」とするとき、実際には「手のみ」を動かすことはできず、手につながる胴体(肩や背中)、そして胴体につながる頭や足が協調的に連動する。
これは「頭、胴体、足は手から独立(自由)ではない」つまり「不自由」であることを意味しているように思えるが、身体の各部位が協調的に連動するからこそ様々な運動が可能になることのであれば、「不自由がゆえに自由」であるとも思える。
「身体はどこまで自由なのか」という問いは「互いにつながりあっている」ということの意味を考えるきっかけを与えてくれるように思う今日この頃。