どこか緞帳を思わせる、深みがかった灰色の曇り空が広がる今朝。
曇り空で憂鬱な気持ちになるかと思いきや、朝からヨガスタジオでカラダを動かし、深い呼吸をして、汗を流していると気分がスッキリして全くの杞憂でした。
ヨガだけでなく、HIITトレーニング(High Intensity Interval Training:高強度インターバルトレーニング)レッスンを加えたこともあるかもしれません。
そんなこともあり、「ストレス」という言葉と向き合ってみたくなったわけです。
以前に読んだ『Role of Stress in the Origin of Life(生命の起源におけるストレスの役割)』という論文のことを思い出しました。
詳細は論文に譲るとして、結論に以下のような記載があります。
(周期的な)ストレス、そしてストレスへの効果的な応答が「生命への進化」を促す。
自然は、ストレスへの応答によって「有用性」あるいは「有用なかたち」を取捨選択している。
筋肉は使われなければ衰えていく。
楽器を練習をしていない期間が続くと、運指(指の感覚)は衰えていく。
生物、生命はストレス(負荷)がかからなければ衰えていく。
重要なのは「適切なストレスとはどのような水準か?どのようなものか?」という問い。
ストレスが過少だと変化は見られないかもしれず、一方で過剰なストレスは自己破壊を招いてしまうかもしれない。
「ストレス=悪」というイメージに一足飛びせず、「適度なストレス=進化の機会」と捉えてみる。それは自然の、生命の流れに根ざしている。
哲学者マルティン・ハイデッガーの書籍『芸術作品の根源』の中で、世界と大地の相互対立を表す「闘争」という概念が登場するけれど、この「闘争」という言葉にも、どこか「応答」あるいは「呼応」という響き、ニュアンスが含まれているように感じるのです。