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部分の脆さが全体を反脆くする
今日は『反脆弱性』(著:ナシーム・ニコラス・タレブ)から「反脆さの階層構造」を読みました。
ここまで「反脆さ」という概念について、著者が提示する様々な例を通して思索してきました。「ストレスや衝撃を成長や繁栄の力に変える」性質である反脆さをそなえることの大切さ、反脆さをそなえた事物が身の回りに存在していることに気付かされました。
一方、ある物事・事象に焦点を当てて「反脆さ」を捉えてきたわけですが、著者は「ある人の反脆さの陰には、必ず別の人の脆さがある」と述べており脆さと反脆さは「表と裏の関係」にありそうです。
ある人の反脆さの陰には、必ず別の人の脆さがある。システムでいえば、ある単位または全体の利益のために、別の単位(脆い単位や人々)の犠牲が必要になることも多い。経済が反脆くなるためには、すべての新興企業が脆くなくてはいけない。そして、個々の起業家が脆く、失敗率が高いからこそ、起業というシステムは成り立っている。
「経済が反脆くなるためには、すべての新興企業が脆くなくてはいけない」との著者の言葉をどのように捉えればよいのでしょうか。見方を変え、経済を生き物のように捉えると「新陳代謝がよい」ということかもしれません。
新しい何かが興り、同時にあるものが姿を消していく。時に実験的であり、環境に適応する、あるいは自ら環境を変える生物(企業)が生き残ることで、システム(経済、生態系など)が生まれ変わってゆく。そんなイメージでしょうか。
もういちど、企業を例に取ってみよう。レストランは脆い。レストラン同士は競争しあっているが、ある地域のレストランの集合体は、まさにそのおかげで反脆いといえる。個々のレストランが頑健で、永遠につぶれないとしたら、レストラン業界全体は停滞または衰弱し、食堂の食事程度しか提供しなくなるだろう(私が言っているのはソ連方式の食堂だ)。さらに、システム的な欠陥が生まれ、たまに深刻な危機が起こり、政府の救済が必要になるだろう。レストラン業界の品質、安定、信頼を生み出しているのは、レストラン自体の脆さなのである。(中略)つまり、システム全体を反脆くするためには、システム内部に脆い部分が必要なこともあるのだ。
「レストラン業界の品質、安定、信頼を生み出しているのは、レストラン自体の脆さなのである」
「個々のレストランが頑健で、永遠につぶれない」というのは、すなわち、足を運び続けてくれる人の存在があり、また、必要な料理やサービスを提供に必要なあらゆる物が存在し続けることでもあります。つまり、「流れ」が続くということ。
あらためて「反脆さ」とは「新陳代謝」とも言い換えることができるのではないか、という気がします。ある部分が脆いことで全体として反脆くなる。自分事として捉えた場合、「自分の脆さはどこにあるだろう?その脆さと引き換えに反脆くなっていることがあるとすれば何だろう?」という問いが浮かんできました。