離散と連続のあいだ〜側屈において適度な伸びを感じ続けることを通して〜
身体をゆっくりと動かし、ストレッチをしながら「離散と連続のあいだ」を感じ、考えている。
たとえば、「側屈」の動きを考えてみる。
身体の片側の側面が伸び、そしてもう片方の側面が縮む。
どのように動いてゆくと、適度な身体の伸び縮みが生まれるのだろうか。
何度も何度も試行錯誤しながら「早く動きすぎてはいけない」という感触を得た。
つまり、じっくりと、ゆっくりと、自然な呼吸が続く範囲で身体を動かすのである。
この「じっくり、ゆっくり」が「離散と連続のあいだ」について考える契機を与えてくれる。
ほんの少し身体を真横に傾けてみると、足のつま先や踵から伸ばした指の先まで「全体」がほんのわずかに変化する。
すなわち、ほんの少しだけ全体が伸び縮みするのだけれど、「全体」が伸び縮みした状態は、その直前の状態とは全く「別物」だと感じる。
なぜならば、身体の各部分の総体としての「隅々」に働く力の方向、大きさが全て変わっているのだから。
その全く新しい状態において、ほんの僅かな時間(僅かな幅をもった時間)だけ「立ち止まって」微細な調整を施しながら「適度に伸びを感じる」姿勢を探る。無限の選択肢の中から選び取ってゆく感じ。
そして、適度に伸びを感じる姿勢が取れたら、またほんの少しだけ身体を傾けてゆく。このシークエンスを繰り返してゆく。
「僅かな幅をもった時間」の中で最適化・探索のシークエンスをなめらかにつなげてゆく。
そのことを通じて、いつしか「離散と連続のあいだ」に内実する喜び、充実を感じるようになった。