「内省する」ということ。
「問いかける」ということ。
問いは自らを内側から破る力となる。
自らを内側から破ってゆくとき、「なぜ?」という問いを足場に過去と向き合うこともある。
振り返って「哲学対話」との出会いが自分の人生の分岐点の一つだったと思えるのは、「答えのない問い(Questions without Answers)」を立て、それに向き合うことが、あり得たかもしれない可能性に少しばかり近付く機会になるのだと気付けたことだ。
それは「分からなさに耐える」ということでもある。
「分からなさに耐える」というのは、いつ答えが出るとも分からない時間を味方につけるということのように思う。
「良き問いは、それ自身が答えの可能性を内包している」
問いは答えを待っているように、答えもまた問いを待っている。