私はなぜ山へ行くのだろう?
なにか欲があるとすれば、私の感性を揺さぶりその震えを肉体にも伝えてくるものが欲しい。美術や音楽の鑑賞では、肉体的な揺れを感じることは稀だけれど、脳の中で起こっている波紋の広がりは確かだ。その波紋はいずれ、過去や未来を行き来しながら言語や形あるものへ作用する。
山へ登るときは目的がないときもあるが、私が本質的に求めていることは、肉体的な揺さぶりだと思う。見たかった対象があろうがなかろうが、やりたかったことを達成できようができまいが、その時私の肉体を震わせるであろう経験を欲している。
息を切らし、汗が吹き出し、足のだるさや痛みがあり、その中で私の感覚が捕えた何かが、私の肉体を通して過去からの波紋と響きあう。苦しんだ時間と解放された時間を山で過ごしたあと、翌日以降も続く余韻の中で、記録した写真を選びながら言葉を添えて残しておく。いつかまた、別の経験と響きあうときが来るから。