限界を超えること・守ること(トウガラシの辛さに学ぶ)
今日は『植物は<未来>を知っている 9つの能力から芽生えるテクノロジー革命』(著:ステファノ・マンクーゾ 他)から「地球でもっとも辛いトウガラシを求めて」を読みました。
中毒性のある食材として「トウガラシ」があります。私自身は食べることが少なくなりましたが、辛い物は好きです。辛いもの好きな人がいる(それも依存的に…)ことで、トウガラシの作付量が増加する。トウガラシにとってみれば、人間が種の保存に貢献してくれるというわけです。
著者によれば、"ペペロンチーノ"という言葉は一般的なトウガラシ属の総称で、英語のペッパー、フランス語のピマンなども同様とのこと。トウガラシ属の辛さは、カプサイシンと呼ばれる化合物によるものです。
辛さの度合いを示すために、1912年、アメリカの化学者ウィルバー・スコヴィルが辛さの尺度<スコヴィル値>を考案しました。《スコヴィル味覚テスト》と呼ばれる測定法によって測られる値で、テストにはトウガラシエキスを溶かしたものが使われるます。
何かを測定するとき、たとえば体温を測るように小さな値から大きな値に向かうイメージを持っていたので、大きな値を起点として小さくなる(薄める)方向に向かって測定することが興味深いです。被験者グループの方々も大変だな…と。
指標が作られると、その指標を最適化(最大化、最小化を含む)したくなるのが人間の性。限界を超えたくなる衝動が人の創造力の源泉になっている。
「光速や絶対零度のような物理定数と同じ意味をもつ」という著者の表現にクスッとしてしまいましたが、人間の感覚器(舌)が測定できる範囲でのみ「有意な辛さ」が存在するはずです。音楽でも、テンポが早すぎる(あるいは遅すぎる)と心地よさを感じることができなくなるように。
「物事の意味はそれを受容する感覚器に依存して生成されてゆく」のだなと気付かされます。何かの指標、数値を測定しても、それ自身が何かの意味を持つわけではない。認知する過程、意味を解釈する過程。
以前、トウガラシを「これでもか!」と言うぐらいにふんだんに使われた料理を食したとき、舌では辛さを感じてないけれども、その後に胃に穴が空きそうになるほどに強烈な腹痛に襲われたことを思い出しました。
限界を超えようと試みる情熱も大切だと思いますが、それと等しく、限界を知り・守ることも大切。「もっと!もっと!!」と感じている時こそ、一度立ち止まってみる。