結ぶということ。ほどかれる可能性、そして超個の個。
「結う・結ぶ」という営みについて、思うままに綴ってみます。
糸を結ぶ、手を結ぶ、縁を結ぶ。
結ぶという営みの対象はとても広くて、物理的なものから目に見えないものまで様々です。
具体的に糸や紐のようなをイメージしてみると結び方も様々。固結び、蝶々結びなど。ほどけないようなきつい結び方、ほどけない強さを持ちながらも簡単にほどきやすい結び方、華やかな見栄えの結び方。
結ばれた後の状態に注目すると、そこには「結び目」と「余り」が存在し、「緊張(かたさ)」と「弛緩(ゆるさ)」という力の均衡や調和が内在しています。
そして、一つに結ばれることはそれぞれの糸や線がバラバラに分解して結びつくのではなく、元の形を保ちながら一つになっています。このことは日本の哲学者である西田幾多郎氏が唱えた「超個の個」という考えに通じているようにも思います。
結ぶという営みは「ほどかれる可能性」を含んでいて、それはその先ずっと結ばれているかもしれないし、何かしらのきっかけで再び分かれるかもしれません。
つまり「結ばれる」というのは「従属」や「隷属」ではない、発展的解消、変更可能性を含んでいる。何かが終わるから始まるのだとすれば、逆に何かが始まるためには、何かを終わらせる必要がある。
結ぶという営みには、豊かな調和、中庸が含まれているように思うのです。
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