「ただただ表現がしたい」と思う心
華鹿です。
今日は私の中でいつもキーワードになっている「表現」について書いてみたいと思う。
「あなたは表現欲求が強いんだね。」
大学時代、とあるダンスのワークショップの打ち合わせ中、ファシリテーターの方からそう言われた。
そう、あの頃はダンスをはじめ、歌、演劇、能楽、落語、朗読etc...
時間の許す限り色んなところに出向き、はっきりと「表現活動」といえるようなものに取り組んできた。
なぜなのだろう・・・?
振り返ってみると、「憧れ」という言葉に行き着いた。
幼少期からシャイで引っ込み思案だった私にとって、
豊かな表現が出来てかつ、多くの人に受け入れられている人はまさに憧れの存在であった。
職業でいうと役者・歌手・ダンサー・小説家といった職に就く人。
身近なところでいうと、いつもみんなを笑顔にしていた学校の人気者。
そういう人たちに対する憧れがとにかく強かった。
中学・高校時代、たまに劇団の方が学校にやってきてお芝居をみせてくれるのが楽しみだった。
内容がどうこうというより、憧れのキラキラした存在を目の当たりに出来ることが何よりの幸せだった。
終わって座談会があると聞くと、演劇部の人ぐらいしか行かないのに、勇気を出して役者さんの話を聴くだけでもと顔を出していた。
ちなみにその当時は演劇をすることにハードルを感じていたので演劇部には入っていない。
結局表現活動はしないまま、ひっそりと高校生活は終わった。
転機になったのはやはり大学時代。
県外から出て京都の大学に進学することになった。
過去の自分を知る人がいないこと。
色んな文化を持ち、たくさんの人が集まる京都に住むということ。
そういった条件が重なり、表現への探求は幕を開けた。
しかし何かを表現するにもかなりの怖さが伴った。
結局演劇は挫折してしまった。
今の自分の殻からは抜け出せず、躊躇してしまったことが原因だった。
表現するにも外に何かを出す勇気がまず必要だった。
表現したい気持ちと表現を恐れる気持ち。
この二つがせめぎあい、何をしても自分を出し切れているという感覚を持てなかった。
それでも表現することを諦めたくなかった。
数を打てば当たる戦法で、自分をより出しやすいものを探していった。
そのときの姿が表現欲求が強い人という印象を与えていたのかもしれない。
結局絞っていった結果今残ったのが、
「歌をうたうこと」
そして「note で思いを発信すること」
であった。
今はこの二つを軸に表現活動を深めていこうと思っている。
次に、表現を恐れる気持ちに関しては、過去に受けた傷を癒す必要を感じた。
「常に自分にOK を出しながら前へ進むんだ。」
即興でダンスをするワークを受けていたときファシリテーターから言われた一言だ。
まさにそれが大事だと思う。
自分を受け入れながら、自分を出しやすい形で外へ発信、表現していくこと。
これが怖くても表現をするためのステップ。
そして今の自分に出来ることだと思う。
最終的に続けていくことで深い人との繋がりが出来たらこの上ない幸せだと思う。
そんな日が訪れるように、今日もただ表現を続けている。
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