新たな10年をむかえて −『Subject to Change: Trans Poetry & Conversations』を読みながら(2)
前回から、私はアメリカ合衆国のトランスジェンダーの若手詩人のアンソロジー『Subject to Change: Trans Poetry & Conversation』(Sibling Rivalry Press, LLC ,2017 以下『Subject to Change』)を紹介しつつ、2020年代にやりたいことを書いています。
いきなり何日も間を空けてしまいました。本当はプルーストを読む人みたいに毎日つづけたかったので、戦略の見直しにせまられています。
さて、『Subject to Change』は詩人の作品とインタビューを通じ、トランスジェンダーの詩人が生きのこるために直面する現実と、生き残ることとその作品の関係性の深さを私たちに見せてくれます。
収録されている5人の書き手は1980年代後半から90年代に生まれており、ざっと紹介すると以下のようになります。三人称は『Subject to Change』で用いているプロフィールより抜粋しています。
Joshua Jennifer Espinoza(三人称はShe)
Christopher Soto(三人称はHe、エルサルバドル系二世)
Beyza Ozer(三人称はThey、トルコ出身、ムスリム)
Cameron Awkward-rich(三人称はHe、黒人)
Kay Ulanday Barrett(Thay、FtM、フィリピン系)
私はこの5人のことを一括してクィア・トランスジェンダーと呼んできました。しかし、インタビューを読むと、一人ひとりがまったく違うこと、そして5人がくぐり抜けてきた境界が全く違うことを認識します。
5人の中で唯一のムスリムであるBeyza Ozerさんは自身のクィア性と宗教について入り混じった気持ちを回想します。
中高生のときは、クィアだとカミングアウトするよりも、ムスリムだとカミングアウトすることの方を恐れていました。理由はわかりません。他人は私を観察することも、私のことをクィアやトランスだと言うこともできるのに対し、ムスリムとしての私のアイデンティティは他人からするとたとえ私の名前や出身を知ったとしても不可思議なのだと感じていました。
この後、Ozerさんは、街角で男性と話した際、なぜヒジャブ(ムスリムの人の服装の規則)をまとわないのか、と聞かれたことを語り、付け加えます。
自分が女性でないとカミングアウトする前ですら、ヒジャブをまとうことを考えたことはありませんでした、私と同じ宗教の人々や文化はクィアである私のことを嫌っていると思っていましたから。
Ozerさんは自分らしくあるために向き合う必要があることが一つではなく、そのそれぞれに歴史的な経緯(多くはシス男性が作ってきた)があり、そこから自身が抜け出したとしてもどこまでも人は女性の身体として生まれたことに向き合わせようとするのです。
私はかつて自分の身長が高いことが非常に嫌だったことを不意に思い出します。
身体のつくりにおいて、男であるか女かであるかと、背が高い男であるかは全く違う次元であることを承知しつつ、継続した投稿のためにはここを出発点にするかを迷わなければならないようです。
おそらく、多くのシス男性(でかつ異性愛者)がここから迷ったのだろうと感じながら。
(この稿つづく)