心のスイッチを切り替える。。。あるいは、マゾみたいだけど、マゾじゃない。
試練に遭ったらよろこべ、って、どんだけマゾなのよ。。。
と思ってしまうことが、ないわけでもない。
でも、試練に遭うとパニックになって、そのため物事を正常に判断できなくなり、間違った行動をして、結果、ただでさえ困った試練がもっと困ったことになる、ってことは、よく経験する。
だから、もし試練に遭っても平常心でいられたら、これほど良いことはないわけで。だって、少なくとも、冷静に対処できるじゃん?
今日の聖書の言葉。
わたしの兄弟たち、いろいろな試練に出会うときは、この上ない喜びと思いなさい。
ヤコブの手紙 1:2 新共同訳
試練に遭ってもパニックにならないためには、マインドフルネスの考え方なら、落ちついて、ゆっくり深呼吸して、精神を整えて、ということになるんだろうね。
聖書の場合「よろこびなさい」と、心のスイッチの切り替えを勧めている。
試練に遭って、ああ、もうだめだ、おしまい、って思ってしまったら、心は「はい、そうですか」、体も「まあ、そうですよね」となって、ほんとうに人生をたたむモードに入ってしまう。いや、いや、いや、いや、ちょっと待ってよ、と言っても、彼らは言うだろう。「だって、あなたが終わらせろって言ったんじゃないの?」って。
試練に遭って、それをポジティブによろこぶなら、心は「あー、まだ次の展開があるのか、準備しとかなきゃ」となり、体も「そうですか、じゃあ、ここぞとばかりエネルギー解放しますから、言ってくださいね!」となって、人生の次のステージを始める準備に入ると思う。
カギは、心のスイッチを切り替えることにあるよね。
いったい、心のスイッチって、どこにあるんだろう?
マインドフルネスが呼吸を重んじるのに対し、新約聖書は口に出して言うことを推奨している。「口で告白する」ってことを聖書は重視してるからだ。たとえば、ローマ10:10とか。。。
実に、人は心で信じて義とされ
口で公に言い表して救われるのです
なので、たぶん ①心で思い ②口に出して言うことで、心のスイッチが切り替わるんじゃないか、と思うんだ。
それと、試練を「よろこぶ」ことを可能にする世界観的な枠組みを持つことが必要だよね。だって、ただ単にコワイことや痛いことをよろこんでたら、真性マゾになってしまうもの。。。
ここで必要な世界観は、やっぱり、これだと思う。
永遠で無限の存在である創造主がいて
創造主は愛であり
その愛を体験するために
自分は永遠の命を生きている
嫌なこと、つらいこと、悲しいこと、腹立たしいこと、不快なこと、恐ろしいこと、逃げたいこと、憎らしいこと、復讐してやりたいと思うこと。。。そういうことが起きたとき、自分は上記の世界観に照らして、こう考えるようにしている。
いまは理解できないけど、この試練には意味があるのかもしれない。自分は永遠の命の最初の一歩を生き始めたばかりだ。これから開かれる永遠の世界の中で、意味がわかる時が来るかも。それに、神さまは全能だから、悪から善を生み出すことだって、できるはず。この試練が起きることを神が許容しているとしたら、解決も神の手のなかにあるに違いない。だから、神の手が開かれる瞬間を期待する。そこには、自分が望んでいる以上の答えがあると信じたい、てか、信じる。その瞬間を先取りする気持ちで、この「試練」をよろこぼう。
こういう流れに沿った思考を展開してみることで、試練をポジティブに受け止め、よろこぼう、という気持ちになれると思う。
で、ほんとうにそういう気持ちなれたらしめたもので、あとは、口に出して言うだけだ。「ハレルヤ、この出来事を主に感謝します~」って。
でも、気持ちが付いて来ない時、もたつくとき、凍り付いたみたいに心が動こうとしないときには、逆をやってみる。
つまり、まず口に出して言ってみるのだ。「ハレルヤ、この出来事を主に感謝します~」って。
そして、中二病患者みたいに、つぶやく。「フフッ。すべては創造主が決めた予定通りだな。。。そして、もちろん、次の展開も、だ」
目に包帯をまいて、渋谷のスクランブル交差点でこんなことをつぶやいているヤツがいたとしたら、それは、自分です。。。
まあ、一回つぶやいたぐらいで気持ちが晴れるわけではない。しかし、何回もつぶやいていれば、だんだん口について気持ちが変わって来る。そして、不思議なことに、ほんとうに次の瞬間を期待して生き始めるのだ。
よろこびの先取りが、ほんとうのよろこびになる瞬間を、さあ、見に行こう、って。
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。
ローマの信徒への手紙 8:28 新共同訳
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。
ペトロの手紙一 5:7 新共同訳
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。
フィリピの信徒への手紙 4:6 新共同訳
わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、 教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
エフェソの信徒への手紙 3:20-21 新共同訳
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