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アーメン、アーメン。。。このアーメンは、自分に内在する聖霊が、自分を通して発してくれたアーメンだ、っていう話です。

ひとりっきりだと、さびしくて、しょうもない。

けど。。。

ふたりでいると、面倒くさくて、ひとりにしてくれっ、って思っちゃう。

どうしたものかね。

まんなかの1.5人分とか、あればいいのに。。。

今日の聖書の言葉。

ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。
コヘレトの言葉 4:9 新共同訳

「神」が人間を創造したとき、神は「人がひとりでいるのは良くない」と言った、と旧約聖書の創世記の冒頭に記されている。

そこから、すべてのストーリーが始まったわけだけど。。。

そもそも、なんで神は、ひとりでいるのは良くない、って思ったんだろうね?

これを世界観的に考えてみた場合。。。

もし、単純な一神教だったら、永遠の昔から、永遠の未来まで、たったひとつのパースンである、ただひとりの神が存在するだけ。以上。

。。。という話で完結してしまう。

なので、神がひとりだけなら、その神が創造した人間も、別にひとりでいいじゃん、ってことになったかもしれない。。。

しかし、新約聖書を見てみると、「神」は、父・子・聖霊という三つにしてひとつの神として描かれている。

父・子・聖霊という三つのパースンがひとつである、というのが「神」の姿であるならば、神は永遠の昔から、永遠の未来まで、相互内在する自己と他者だ、っていうことになる。

だって、父と子と聖霊は、互いが互いに対して他者でありつつ、同時に自己でもある、っていう関係であるわけだからね。

で、自己と他者の相互内在、っていうありようが「神」であるならば、当然、神のイメージに似せて創造された人間も、自己と他者、っていうありようを持つことになるよねー。

結果、「人がひとりでいるのは良くない」っていう、あの神の発言になるんだろうと思う *¹。自己には他者が必要なんだ。

その神は、人間にいのちの息を吹き込んだ。その息によって人間は呼吸をはじめて、ほんとの生きた人間となった *²。

生きている人間は、いやおうなく他者と向き合わさせられることになる。神が「神」のイメージに似せて、人間を自己と他者とに創造したからだ。

息をする人間が、自己と他者として、一緒に生きて行く。

それはつまり、自己と他者が呼吸を合わせて生きて行く、ってことなんだろうと思うけど。。。

呼吸を合わせる。そこから
リズムが生まれ
リズムはダンスとなり
ダンスから歌が生まれ
歌はコトバとなり
コトバから約束が生まれ
約束からストーリーが生まれ
ストーリーを記録するために文字が生まれ
同じストーリーを共有する者たちがクニとなり
クニを異なるクニから区別するために壁が作られ
壁の内側では決まりが作られ
決まりは規則と法となり
規則と法を執行するための統治者が立てられる。。。

このようにして、自己と他者が呼吸を合わせる営みから、われわれが知るいまの世界が生まれたのかもしれないねー。

残念ながら、人間は「神」から離反してしまったので、自己と神との呼吸を合わせることができない、っていう問題が発生している。。。と聖書は言う。

だって、神なんかいない、神なんか知らない、神とオレは無関係、って思ってる「自己」がいっぱいいるわけだから。

その呼吸の合わなさ加減というのは、神と自己とのあいだだけでなく、自己とすべての他者とのあいだにも、どんどん拡大して行っている。。。

呼吸=気。呼吸が合わない=気が合わない、からの、気が散る、気疲れする、気に病む、気が滅入る、気味が悪い、気持ち悪い、気色悪い、気を失う。。。とまあ、さんざんだ。

その結果としての、これ ↓↓↓

ひとりっきりだと、さびしくて、しょうもない。

けど。。。

ふたりでいると、面倒くさくて、ひとりにしてくれっ、って思っちゃう。

これが自分の現実であり、世界の現実でもあるよね。

なので、そこはまず、あきらめて、ありのままを受け入れよう。。。

で、その次を考えてみる。

自己と他者、というありようが、そもそも「神」のありようなのだとしたら、そういう神のイメージに似せて創造された自分は、やっぱり、他者と呼吸を合わせて生きて行くしかないよね、ってことになる。

なので。。。

ふかーく息を吸って。。。深呼吸して。。。こころを落ち着けて。。。

そして、神に祈る。。。

「父と子と聖霊である神よ
 あなたは
 永遠に相互内在する自己と他者です。
 そのようなイメージに似せて
 あなたは私を創造されました。
 でも、いま、私は本来のありようから
 退落してしまっています。
 ですので、聖霊を送ってください。
 聖霊、どうか私の内に住み
 神のイメージに
 私を回復してください。
 聖霊、来てください
 イエスの名によって祈ります。アーメン」

自分は信じる。この「アーメン」は、自分に内在する聖霊が、自分を通して発してくれるアーメンなんだ、って。

聖霊が発するアーメン・つまり・内在する他者が発したアーメンが、いま、自分のアーメンになったんだ、って。

このアーメンの瞬間に、自分と聖霊の呼吸はひとつになっている、って。

そう信じる。

そこから勇気と力を受けて、立ち上がって、世界の扉を開いてみる。

そうして、自己と他者が向き合って生きる世界に、足を踏み入れる。

あー、気が晴れた、ハレルヤ!

註)
*1.  Cf. 創世記 2:18
*2.  Cf. 創世記 2:7

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