コロナ禍にあって、逃れの道を探し求める。
コロナという試練を受けて、人類は地球全体で葛藤しながら、出口を探し求め続けている。
ウイルスへの抗体を生み出すワクチン接種が、あらゆるところで進行中だけれど、ほぼ全人口の接種が終わった国や地域がボチボチ出始めた。
そのようにして理論上は集団免疫を達成したはずの場所において、これから変異株がどういうふるまいを見せるのか?
固唾を呑んで、みーんなが見守っている。
だって、そこの展開次第で、終息への道程がぐーっと近づくか、おもいっきり遠のくかが、はっきりわかるからだ。。。
今日の聖書の言葉。
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。
コリントの信徒への手紙一 10:13 新共同訳
人類が直面しているコロナの試練についても、脱出する道が、かならずあるはず。
今日の聖書の言葉が正しければ、そう推論できることになる。
残念ながら、その逃れの道が、どっちの方向に開いているのかは、まだ誰の目にも見えていないけれど。。。
過去にも人類は疫病との戦いを経験してきた。
ペストに席巻された中世のヨーロッパは、絵に描いた地獄の様相を呈した。
人口の三分の二が死んだのだ。
しかし、それにより、農民の希少価値が増大した。
その結果、何百年も土地に縛り付けられていた農奴たちは、思いがけず自由の身となった。
自分の土地と自分の身体を自分で所有する独立自営農民に変身した彼らは、自分の手腕で営農し、自分の富を蓄積し、富はやがて「資本」となって、社会の在り方を変え、政治の仕組みまで変えて行った。
資本が資本を生むようになると、農村は短時間に工業都市に変貌し、無計画につくられた街並みによって社会問題が噴出した。
けれど、チフスとコレラに席巻され、多くの都市住民が死んだことから、きちんとした上水道と下水道が整備され、ゴミの回収と廃棄のシステムが構築され、公衆衛生と治安を司る警察行政が新設されて、都市は徐々に安全な場所へと変わって行った。
歴史に「もし」は無いけれど、もし、ペストとチフスとコレラによる死者がまったく無かったら、いまなお農奴の生活、上水道も下水道も無い生活が、ずーっと続いていたかもしれない。
コロナは、人と人のつきあい方、触れ合い方、距離の取り方を、変えてしまった。
マスクをしているから、相手の表情をどう読み取ったらよいかわからない、という初期の困惑を通り越して、表情を気にしないでいいから適度に身をこなすという変な気楽さが生まれた。
オンラインのミーティングが増えたことで、共有する情報量は以前より格段に増えて、だから、会ってないはずなのに、しょっちゅう会ってる気がするという、不思議なねじれも経験している。
教会の礼拝では、Zoomの画面越しに全員がひとりひとりの顔を見ながら礼拝するようになった。
コロナ前は、フォーカルポイント(視線の集中点)である説教壇や祭壇に目を注ぐことで、全員が神だけに視線を向けていたのに、いまは、全員が全員の表情を見つめる視線の向こうに神を見ようとしている。
こんなことは、いまだかつてなかったことだ。
だから、人類のメンタルな在り方というものが、コロナがトリガーとなって、変わって行くに違いない。
ていうか、もうすでに変わり始めていると思う。
そうして、そのようにして変わって行った先に、われわれの誰も予想も予期もしていなかったような逃れの道が開いているのだろう。
その向こうには、光さす、あたらしい土地が開けているはずだ。それは、前の生活よりも、きっと良くなっているはず。
というか、質的に、まったく、あたらしいものになっているにちがいない。
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