いにしへ思ほゆ(TBC40)
🏠ホームに掲載されていたきょろさんのレイオフ話を読んでいてふと思い出したことがありました。
全く違う話で恐縮ですが、スタートアップ時には荒技も必要といった話です。
1999年に東京から離れて別系列のローカル局に転職したのはノストラダムスを信じたわけではなくて、日々の暮らしの中に隣合わせにいる狂気への警戒心とか、娘が生まれた年の巨大地震とか、カルト教団の凶行とかを避けて、見晴らしの良いのどかな環境で子育てをするためでした。イクメンなんて言葉はまだ無くて「所詮田舎者は田舎に帰るんだ」と期待してくれていた経営陣から謗られもしましたが「往くは我が往くなり」です。
で、田舎の放送局に来てみたら、当時日本の(たぶん)最先端だった私の技術なんか何の役にも立たない環境でびっくりしゃっくり。
ひとりだけ先人がいて0(ゼロ)からの起ち上げではなかったものの0.6ぐらいからの起ち上げでした。
「ノンリニア」当時呼ばれていたその名は「リニア」の否定形で、一定方向にしか進まないテープというメディアを否定し、コンピューターを使ってディスクレベルで編集加工再生する技術の総称でした。
当時の私の知識としてはノンリニアには2種類あって、
1、大容量のバッファとHDDを内蔵し複数のディスクで同時に読み書きして録画しながら編集再生できるLIVE対応型の物、TektronixProfileやEVSなど
2、編集や特殊効果作成を目的として作られたPCをベースにしたアプリケーションソフトウエア、AvidやDLEなどでした。
私はその両方を使う技術者で、在京キー局のスポーツ局を主なクライアントとしていましたが、田舎にはそんな環境なんて無いし技術を発揮する機会もない。
そこで、せっかくなんで市販PCとキャプチャーボードとアプリとを組み合わせてノンリニア編集環境を作りました。
仕事はというと、ローカルのCMやイベントの開催告知、自社事業告知、CGで作る5分の子供番組などを起ち上げ作っては投げ、作っては投げ。
局社員なので考査もそんなに厳しくないし映像規格は技術者の基本だし、音楽著作権は事業告知ならJasrac届けるだけでOKだし。
自分で放送用カメラをかついで撮影して、VTRで再生してPCでキャプチャーして、編集・CG加工・MA・VTR出力納品まで全部ひとりでやりました。
通常はみんなで使う編集室もノンリニア仕様に変更してわたしひとりが独占する状態になり、いろいろ言われたりもしましたが「誰でも使って構わないですよ、どうぞ」ってなもんです。ヤな奴だったろうなと今でも思います。
さてテレビの世界はその後、劇的な変革の時を迎えます。
国の主導でHD(ハイビジョン)化が義務付けられ、これまでの機材が使えなくなることになりました。メーカーは大喜び、中小ローカル局は青息吐息。「フルHDは無理だから側だけHDにして中身はSDを拡げて作ろう」なんてことを真剣に話し合ったりしていましたがそれでも、一式もHDVTRが無いでは放送免許も下りないかもしれないという不安もあって、カメラとVTR一式を無理やり買って、装備しました。
喜んだのは私で、ノンリニアはPCのキャプチャーボードだけ取り換えればOKですから自分のノンリニア編集室から3つ隣のHD編集室までケーブルを引いて出し入れをすることにしました。
しかし毎回長々とケーブルを引き回すのも恰好悪いし面倒です。エイヤァ!っと天井に穴をあけてケーブルを這わしました。
そんな時代もやがて過ぎて、2006年にはフルHD導入、2013年にはアセットゲートウェイも導入されて全ての素材はサーバへ入るようになり、もはやVTR自体が古いお荷物となって現在に至ります。
私が占拠していた編集室は今は空っぽの部屋になりました。
そうでした。古式ゆかしきこの会社にはSDGsなんか考えもしないイケイケの時代から屋上庭園があって来客に茶をたててもてなしたりしていたそうで、その名残があるんです。
何の話でしたっけ?
そうそう、スタートアップは気合が入って、バンバン荒業ができて楽しいって話でした。
そしてやがて、それぞれに専門的な知識とチームワークと合議制で美しい完成品を作るようになる。それが企業の成長ってもんです。
でも、元荒武者は知っている。
絶対あの頃の方が楽しかったサ。
#なんのはなしですか
短歌忘れてました
うち捨てたケーブルのみぞ知りたるか 老兵来たりいにしへ思ほゆ
天井に明けたる穴を探すとて ドア開くれども風吹くばかり