無いものねだり
築25年の我が家、県庁所在地から電車で4駅、車なら45分ほどの距離で、ベッドタウンとして県が造成した団地は私たちが家を建てた頃はまだ天然林や原っぱに囲まれていて野ウサギが走っていたり、それを狙う猛禽もいたり、謎の獣までいるような環境で、日当たりの良い土手にはタラの芽や野イチゴが沢山生えていました。
前年に埼玉からUターンした私たち家族はその環境が嬉しくて、休みの日になると竹の子やわらび、タラの芽、野イチゴ採りに出かけ、お昼ご飯の食卓を賑わすのが楽しみでした。
飼い犬の散歩の時には長女が作ったタラの芽地図を持って芽吹き具合をチェックしながら歩いたりしていました。
ところが、ご近所の皆さんにはそんな私たち家族の様子は奇異に見えていた様です。
「野草を取って食べるなんて、無理して立派な家なんか建てて大変なんでしょうね」とか「小さな子供に泥んこ遊びだなんて不衛生な」なんて声を聞くこともしばしばでした。
ご近所の子供達は習い事やスポーツクラブの活動が忙しく、公園で遊ぶ姿はあまり見かけませんでした。たまにベンチに集まっているかと思えばゲーム機を囲んでいるのでした。
価値観はひとそれぞれですが、進んで田舎住まいを選んだ私たちと、仕方なく田舎に家を建てた方達とは環境に対する感覚は違っていた様です。
今、田舎では人口減少が社会問題となっていて、ニュースになる学校の話題といえば閉校や合併やITを使った遠隔授業などです。
私学は原資にかかわる問題なので、生徒数確保のために特色を出す事に苦心して、ファッションブランドの制服や生徒全員にタブレットを配ったり、資格取得制度を導入したり、スーパーサイエンス指定校を目指したり、どこも大変です。
私の子供達が卒業した学校もクラス数は減る一方で、隣りの学校はサッカーもできない人数になったそうです。
人はより良い環境を求めて移動します。
だから都会に人が集まるのは当然です。
だって都会は暮らしやすい。
便利だし刺激も多いし芸術もスポーツもエンタメも揃ってる。
だからそれらを求めるなら都会に住めば良いのです。
田舎が嫌なら都会に行こう。
都会で疲れたら田舎へ帰ろう。
たった、それだけの事です。
拙なる一首
春来れば木々の芽吹きを待ちわびる 里の暮らしを誰そ説くらむ