「頭が良い人ってどんな人?」を勘違いすることによってつぶしてしまう子どもの可能性
今回は、
「頭がいい人ってどんな人?」を勘違いすることによって潰してしまう子どもの可能性
というテーマで考えていきたいと思います。
まず、皆さんが「頭がいい人ってどんな人だと思いますか?」って聞かれたとするならばどのように答えますか。
実際、頭がいいってのにはいろんな頭の良さがある思うんですよね。
例えば、
・自分のことは自分で決めていける決断力を持っている人
・誰も思いつかないようなアイデアを発想できる力を持っている人
・無から有をクリエイティブに生み出していくことができる人
・自分の強みの活かし方を熟知し社会的な価値に変換していくのが上手い人
・受験勉強で高得点を獲得するのが上手い人
・好奇心旺盛で本質的なことを探求していく力を持っている人
・コミュニケーション能力が高く人とコラボレーションするのが得意な人
まだまだ他にもいろーんな頭の良さがあると思うんですよね。
実際、社会においてはいろんな頭の良さをそれぞれが発揮し合うことによって、色々な価値を生み出し社会が循環していくっていうことが起こってるわけですよね。
それに対して
学校空間に目を向けるとものすごく狭くそして可能性を大きく狭めてしまうことが起こっていることに気づくと思うんですよね。
具体的に言うと、特に小中高この3つの学校空間なんですけども、その中では「頭がいいっていうのはテストの点数が高い人のことだよ」とか「頭がいいってのは偏差値が高い人のことだよ」と教えている現状がまだまだ残ってしまっていると思うんですよね。
なのでどのようなことが起こるかというと
例えば
先ほど言ったコミュニケーション能力がめちゃくちゃ高いのに
例えば
探究力がものすごく高いのに
例えば
発想力がものすごくあるのに
例えば決断力がものすごく冴えているのに
ただただ
テストで点数を取ることが苦手でテストで点数を取る力が弱いだけなのに
その子は自分のことは人間として頭が悪いんだって思い込んでしまっている子が多いと思うんですよね。
これってものすごく損じゃないですかね。
その子にとっても損だし、社会にとっても損。
色々ある頭の良さの中の単に教科のテストの点数を取る力が弱いだけなのに、人間として丸々頭が悪いんだ自分は!っていう自己洗脳が深いところまで入っていきますよね。
するとどうなるかっていうと
自分は頭が悪い人間なので大したことはできないであるとか
自分は頭が悪い人間なので価値がないとか
そういうところまで思いがいってしまいますよね。
「これは頭がいい人ってどんな人?」っていうのを単に勘違いしてしまってることによって
勝手に自分の自己肯定感とか自己効力感を下げて自分の人生の可能性を狭めてしまっている行為に値しますよね。
なので、子どもたちの周りにいる親や近くにいる視野の広い大人たちは子どもたちに
「人の優秀さは点数だけでは測れない」
「頭が良いってのはね、点数が高いことだけじゃないよ。むしろそれは頭の良さのほんの一部にすぎないよ」
ってのをちゃんと教えてあげないと自分で自分の可能性を潰してしまう方向に向かう子ども達も出てくるので損しますよね。
こんなことで人生を損してしまうとものすごくもったいないので今一度、頭がいい人ってどんな人なのかっていうのを改めて整理し、もし皆さんのお子様が、単にテストの点数を取る力が弱いだけにもかかわらず自分は人間として頭が悪いんだっていう強い思い込みを持ってしまっているならばその思い込みはぜひ外してあげてほしいなと思います。