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「誰か」が考えること

 相談業務をしていると、利用者の相談に頭を抱えている自分がいる。

 だけど、待ってください!
 今、頭を抱えている問題は、1人だけが考えることなのか。

 ①利用者自身が考えること
 ②相談員が考えること
 ③関係機関と連携して考えていくこと

 それぞれに役割があるので、できることを頑張っているはずだけど、どこかで「あの人がやってくれる」と思ってしまっているかもしれない。
 そして、相談員としては同じ職場や職種であるにもかかわらず、自分の担当外の利用者には、どこまで支援(口出し)していいのか、困ってしまう場面もある。いざ、担当が不在で伝言を頼まれたとしても「伝えておきます」としか言えない時がある。「本人のことを知らない」わけではなく、「支援の流れを把握できていない」と言ったほうが良いのかもしれない。そして、そもそもの問題から顔を背けているかもしれず、利用者としては無視されたような気持になるかもしれない。
 また、相談をした利用者としては、本人の中では「解決方法」は分かっているはずなのに、不安があったり、解決方法に納得できていなかったりすると、色んな人に聞いて「安心したい」「解決方法に自信を持ちたい」のかもしれない。
 関係者でが集まっての会議をするときでは、専門職でしかできないこともあるが、専門職だけではできないこともある。
 そして、問題と思っていたことには、「解決されていた」こともあるかもしれないし、「中途半端になってしまった」こともあり、取り組むうえでの心構えも違ってくる。

「誰か」とはだれか

 自分以外の関係者を「誰か」というとは思いますが、直面している問題に関係しているかは分からない。自分の話を聞いてくれそうな人のことかもしれないし、信じ切っている「先生」のことかもしれない。
 ただ、自分の求めている回答は誰もが容易に答えることはできない。そして、簡単に信じることができるだろうか。

 そうだ、
 「誰か」は一人ではなく、2人以上かもしれないし、人ではない「もの」「空想物」「まとまり」「社会」「夢」かもしれない。そこには、自分にとって大切なもののかけらがあるかもしれない。「自分自身」と言ったら、大げさだけど、「自分でない自分」が考えているかもしれない。

「誰が」責任を負うのか

 福祉の中で「責任」というのは、僕はあまり気にしたくないというのが本音です。できたこと、できなかったこと、それぞれに色んな人が関わっていることで、一人に責任があるのではない。かといって、誰かがまとめないと「支援の流れ」が途切れてしまう。キーパーソンと言った方がいいのかもしれないが、「責任者」ではないことを忘れてはいけない。

 「責任」を考えるのは、うまくいかなかった場合です。
 「あの人がちゃんとしなかったから、うまくいかなかった」と言いたいと思うのだけど、ちゃんとできなかった「理由」を確認しただろうか?

「やろうと思ったけれど、必要書類に不備があった(届いていなかった)」
「○○に確認してもらっていて、遅れてしまった」
「AさんとBさんにお願いしていたこともあったので」

 上記は、極端な話ではありますが、一つの問題に、何人もの「責任者」がいるとうまく流れないこともある。

 「誰が」悪いでもなく、みんなが少しずつ「責任」を負っているのだと思います。ここで「ほんの少しのミスだ」と軽く捉えるか、「自分がミスしなければこんなことにはならなかった」と重く捉えるかは、「誰か」と当事者との関係性が影響していると思います。

 「誰か」に頼りたいときがあることは、誰でもあります。そんな時に「誰でも」ではなく、一番最初に「あ、あの人なら…」と思ってくれるような存在になれたら、余計な気遣いや心配をしなくてもいいのかな、と思います。


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