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映画 『美しい星』の感想コメント
映画『敵』にいたく感激して、吉田大八監督の他作品も観たくなった。
『桐島、部活やめるってよ』は何度も観たし、
『羊の木』もかなり衝撃的で面白かった。
『紙の月』は主演の宮沢りえが全部持っていった感じがする。
(そういう意味では宮沢りえはすごい女優なのだろうか)
そうだ『美しい星』にしよう。
この映画の原作は三島由紀夫だということで少し敬遠していた。
原作は読んだことがなかったので、純粋に三島由紀夫という晩年のイメージに引きずられた個人的な好き嫌いなのだけど。
つまりはマッチョイズムに侵されて危うくなった人という印象。
(だけど、よく考えたら『潮騒』なんてのも書いているんだったな)
ところがどうだろう、三島由紀夫ってこんなぶっ飛んだ作品も書いていたのかと。
思わず映画を観終わってすぐに新潮文庫になっている原作本も買ってきました。
まぁとにかくヘンテコな映画。
かといって難解かというとそんなことはなくて、とてもポップで観やすい。
これは吉田大八監督ならでは、ということなのだろうか。
しかし変な映画なのだ、いや変な物語なのだ。
やっぱり三島由紀夫がぶっ飛んでたんだろう。
しかも、2025年の現代にも十分通ずるテーマをすでに1962年に書いていたというのだから驚く。
だって60年以上前ですよ。
まだ新幹線も走っていないし、首都高もないし、東京タワーも建っていない。
そんな時代に、地球が人類のふるまいによって取り返しのつかないことになっている、自然破壊だ、なんてことを言ってるんだから。
だけど、よく考えたら初代ゴジラはさらに遡ること8年前の1954年で、あれも科学技術の行き過ぎた結果としての米軍によるビキニ環礁での水爆実験と日本の漁船の被害を背景としているんだし、
9年後の1971年に公開された、これはまさに子供時代にリアルタイムで映画館で観た記憶があるけれど、『ゴジラ対ヘドラ』で公害汚染に切り込んでいるし、
当時はひょっとすると、現在以上に急激な経済発展の反動として何かを破壊しているんじゃないかという危惧が社会全体にあったのかもしれないですね。
物語は、ある日突然不思議な光を浴びて半日程度記憶を失っていた当たらない天気予報士の大杉重一郎(リリー・フランキー)がおかしな言動をするようになるというところから始まる。
実は大杉重一郎は火星人であったことに目覚めたというもので、ほぼ同時に家族も、長男の一雄(亀梨和也)は水星人、長女の暁子(橋本愛)が金星人として目覚めるというトンデモ設定。
火星・水星・金星ときて木星が余っているんですが、母親(中嶋朋子)は特に木星人だという設定はなかったような気がするのだけど見落としていたのかなぁ。
母親はインチキ新興宗教的マルチ商法で「水」にハマって騙されてしまうので、彼女の方が「水星」でもいいように思ったのだけど。
そして、同じく政権に食い込んでいた宇宙人(というか惑星人たち)も出てきて、地球はもう人間には任せておけない、いやまだ彼らを信じよう、なんてやりとりがあったりするのだけど、
最後は夢オチのような感じで、実は火星人だった重一郎は末期ガンでした。
だったら、最後に精神だけでも火星に戻してあげよう、なんてことからバラバラになりかけた家族が一致団結するという話。
やはり60年前だと宇宙人といえば太陽系惑星が精一杯でそれより外へは向かなかったんだなという風には思った。
そして、宇宙人が出てくるのに割と話のスケールが大きくなり過ぎず身近なところで話が進んでいくオフビート感が、黒沢清の『散歩する侵略者』を少しだけ思い出したりもしましたが、
あっちの方が最後はバッドエンドなので、やはり現代の方が絶望感が大きいんだなとも感じたり。
何と言っても見どころはリリー・フランキー扮する重一郎の足をクロスさせて両手をバンザイするポーズ。
彼がテレビカメラに向かってあのポーズをする度に爆笑してしまいます。
ということで、三島由紀夫原作、吉田大八監督の『美しい星』の感想でした。
まだ未見の人は観て損はないのでおすすめします。
<了>