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なんて優しい世界 『夜明けのすべて』
『夜明けのすべて』を観てからひと月ちかくが経つ。
なんて優しい世界なんだろう。
世界が全部こんな風だったらいいのに。
それがずっと頭に残っているこの映画の印象、
月経前症候群で発作が起きるとイライラが募り、誰にも何に対してもあたってしまい、
その結果せっかく入社した企業でも大失敗をしてしまい退職を余儀なくされた藤沢さん。
彼女が再就職した先の小さな会社には、パニック障害を抱える山添くんが働いていた。
お互い最初はぎこちなく、むしろお互いの印象は最悪だったが、
気遣いの藤沢さんが山添くんの抱える病気に気付き、二人はお互いを理解し合うようになる。
凡庸なドラマならこの後二人は恋愛関係になるような筋書きだろうけど、
このドラマではそんなバカげた展開にはならない。
いや、ひょっとするとお互いそういう気持ちが少しは芽生え始めていたのかもしれないけれど、
そこは節度を保ちお互いを見守り、労り合う姿が描かれる。
リアルな世界だって、そうそう簡単にドラマのように男女が恋に落ちるなんてことはない。
むしろ、恋が成就する方が珍しいかもしれない。
ここでは、そんな凡庸な展開を避け、あくまでもリアルを描いているように見えて、
実はリアルでもなかなか起き得ないかもしれない、優しい世界が描かれる。
持病を持つ二人を快く迎え入れ、温かく見守り続ける二人の職場である栗田工業の社長。
彼にも忘れることの出来ない心の傷を抱えている。
栗田工業の従業員もみんな優しい。
口では給料が安いなんて言っているけれど、社長の人柄に惚れてだろうか、誇りを持って仕事をしているように見える。
物語は二人のプラネタリウム上映企画への取り組みと上映会の成功が山場となる。
その成功には、倉庫の奥から掘り出してきた古い一本のカセットテープも大きな役割を果たしていた。
そのテープは・・・・
このプロジェクトを通して二人のお互いを信頼する絆は固くなったのだけれど、ハッピーエンドは二人をこの職場に閉じ込めるのではなく、さらに開かれたものになった。
藤沢さんは、母の介護を兼ねて地元の広告会社に転職を決め、新しい一歩を踏み出す勇気を手に入れた。
山添くんは元の会社へ戻るという選択肢を断り、自分の意思で今の会社に残ることを選んだ。
それは、パニック障害を発症して不本意ながら仮住まいとして転職を余儀なくされた時とは180度気持ちが転換した結果だ。
僕はこんなところにいる人間じゃないという当時のプライドや焦りとは決別し、持病としっかり向き合い、長く付き合っていく覚悟とともに、
自分にとっての本当の幸せ、やりがいを見つけ出した結果の答えだ。
それは、今の能力主義や経済優位性だけで測られがちな社会とは一線を画していて、人間の本来の幸せってこういうことだよ、と具現化した一種のファンタジーだとも思う。
それは最後に物語の舞台となった栗田工業の社屋とそこで働く従業員たちを遠景から写すシーンの穏やかな描写でもある。
主人公の二人は自ら抱えたハンディと向き合うことで、本当の自分と幸せを見つける手がかりを得たけれど、
日々の生活に追われ、何となく満足しているフリをして流しているだけの僕らはどうだろう?
僕の周りは優しい世界なのか?
それでいいのか?
そんな風に問われているような気もする。
映画を観終わってひと月以上経ってからの印象で書いているので、実際の映画で描かれていることとは少し違っているかもしれないけれど、
そんな事を思い起こさせてくれた。
<了>