一筋縄ではいかない『イニシェリン島の精霊』
『スリー・ビルボード』のマーティン・マクドナー監督の作品(日本公開は2023年)。
先日、やっと配信で観たので感想を書いておきます。
ネタバレ含んでいますので、ご注意下さい。
舞台はアイルランド イニシェリン島
イニシェリン島は実在しない架空の島ですが、アイルランド西岸沖合、ちょうど首都ダブリンの真反対側のアラン諸島の一つの島の想定らしいです。
すぐ対岸には本土も見えている海辺の小さな村。
娯楽といえば一軒しかない古びたパブだけという、恐ろしく退屈な場所。
時は1923年、イギリスとの独立戦争が終結しても依然として内線が続いている時代。
映画本編内でも、時折砲弾の音が対岸から聞こえてきます。
「また、始まったな」
島民たちにはおよそ縁遠い戦いに見えます。
来る日も来る日も変わり映えのない生活。
午前中少しだけ働き、午後からパブに集まる。
そんな静かな村に変化が起きます。
おそらく何十年間もパブに集まってバカ話をしていた親友のはずのパードリックとコルムの些細な諍いから大騒動に発展していきます。
いや、そもそも最初は諍いでさえなく、コルムが一方的にパードリックとの付き合いを止める、俺に話しかけるな、と通告してくるのです。
挙句に、もし俺に話しかけてきたら、本気だという証に俺は自分の指を切り落とす。
最初は一本、その次は残りの4本全部だ。
そうした経過を一切の説明なしに、淡々と描かれていきます。
いや、もう最初は見ているこちらも何がなんだかさっぱり分かりません。
どうしてコルムは突然の絶交を切り出したのか、パードリックと一緒にその理由を考えます。
全く理由に心当たりのないパードリックは不安にかられて執拗にコルムを追いかけ回します。
そして、パードリックの家の扉に放り投げられるコルムの人差し指。
本当に切るんだ!
見ているこちらもびっくりします。
しかも、最初の指が人差し指。
日本人にとって、指を切り落とすなら小指というイメージがありますが、アイルランドではそんな感覚じゃないんだなと驚きました。
一番大事そうな指からいっちゃうんだ。。。って。
それにしても、人差し指切り落としても、ああやって普通に歩けるの?
「気絶しそうになったが」とか言ってましたが、それだけじゃ済まないだろ!って笑
この辺りから物語はぐんぐんドライブしていきます。
最後には残りの4本全部切り落としてしまい、切り口までしっかり映すところは、もはやホラー展開。
ひょっとすると指を切り落とすところからはファンタジーなのかもしれないですね。
実際、出てくる村人たちもかなりおかしいです。
平気で人を殴り倒し、女性にあからさまに侮蔑の言葉を投げかけるあまりに酷い警察官
退屈のあまり、いつも新しい噂話を探して、挙句に他人宛の手紙も平気で盗み見する唯一の商店の女主人
まるで死神のような老婆
牧師も相当にヤバいやつです。
そして、前作『スリー・ビルボード』同様に火事で建物が燃え落ちるシーンもあります。
マードック監督にとって、火事のシーンは何らかの意味がありそうです。
コルムがパードリックに特別な理由もなく絶交を言い渡す理由、
僕は熟年離婚みたいだなと思いました。
特別これだという大きな決定的理由があるわけでもないのですが、それまで長年にわたって少しづつ積み重なってきた「これじゃないだな」という感情。
「前からコルムはパードリックとは合わないと思ってたんだ」
そんなことをパブの店主や常連客が言ってます。
コルムはヴァイオリン(フィドル?)を弾き、作曲をし、物思いに耽ることが好きな芸術家タイプです。
その日暮らしで、毎日楽しく呑気に暮らせればいいやというパードリックとは全くタイプが違います。
映画では、彼らの普段の付き合いなど一切描かれていないのですが、多分最初から実はそんなに気が合っていなかったのかもしれませんね。
ただ、あまりに閉鎖的で狭い社会なので、他の選択肢がなかったから惰性でズルズル付き合っていただけで。
腐れ縁というやつです。
そんなのは巷に掃いて捨てるほどある話で、それがたまたま男同士だったというだけで。
場合によっては、これは友情の話じゃなくて、男同士の隠れた愛情のもつれだったのかもしれません。
2人とも独身だし。
コルムはひょっとしたら、それに何となく気づいてしまい、残りの余生を違う形で生きていこう、好きな音楽に精力を傾けよう、そう思ったのかもしれません。
ただ、「付き合うのやめるわ!」と宣告して無視し続ければよいのに、(それがファンタジー的描写だったとしても)自身の指を切り落とすのにはどんな意味があるんでしょう。
「どれだけ本気なのかを見せてやる」
と言っても、ヴァイオリンを弾くのに大切な左手の指を切り落とす意味。
前に書いた男性間の愛情という説を進めるとすると、パードリックへの想いと対立する音楽への想い、それを天秤にかけているとしたら?
パードリックを無視しても、それでも自分へ来るのであれば、その分だけ音楽への想い=指を切り落としていく。
うーん、普通に考えたらかなりキツイ選択肢ですが、実際コルムは左手の指を全部切り落とし、しかもパードリックに家を燃やされても、なんだかツキが落ちたみたいなスッキリした表情に戻っているんですよね。
その代わり、パードリック側は家族のように可愛がっていた飼いロバのジェニーが、コルムの切り落とした指を食べて亡くなってしまったため、コルムを憎むようになります。
それこそ、コルムも一緒に燃えてしまってもいいくらいの気持ちで、コルムの家に火をつけます。
ただし、事前に時間も通告し、かつコルムの飼い犬は外に出しておくように指示して。
すっかり家と一緒に焼かれることを選んだかのようにみえたコルムは生き残っていましたが、皮肉なもので、今度はパードリックが彼を許すことはしませんでした。
家が燃えただけじゃ引き分けじゃないと。
かなり文字数多くなってしまいました。
パードリックの妹シボーンのことも、最後になぜか全部を罪を被ったかのようなドミニクのことも触れてませんが!
一言添えると、シボーンが島を出て行ってから微妙なバランスが崩れてしまい、パードリックとコルムの関係が悪化していくきっかけになりました。
パードリックにはコルムしかいなくなってしまったからです。
また、ドミニクはパードリックに「今までとは違う人間になれ、いい人間をやめればいい」みたいな事を言ったのがきっかけで、コルムは残り4本の指を切り落とすきっかけになりました。
そう言う意味では、この2人も物語で重要な役割を果たしていました。
あと、「イニシェリン島の精霊」はコルムが最後に作曲した曲のタイトルだったんですね。
精霊は何、誰、だったのだろう。
最後に、コルムが言った
「人生は死ぬまでの暇つぶし」
という台詞が耳に残っています。
一筋縄ではいかない映画でした。
でも、正直こんなに面白い映画だとは思いませんでした。
「今日から絶交な!」
おっさん同士のそんな映画、普通に考えたら面白い要素なんてないのに。
マードック監督、恐るべし。
〈了〉
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