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おざなりなテキストだって、意味がある

毎日、noteを書く。

誰が決めた訳でもないのに、
いや、自分で決めたんだった。

2022年1月10日に自己紹介noteを書いた。
その時にこう書いている。

「この2年間、インプットばかりに比重が置かれすぎたため、頭の中を整理するためにもnoteをはじめてみようと思いました。」

そう、この頃はコロナ禍と同時並行で役職定年を迎えていて、
緊急事態宣言による家ごもりも経験し、仕事もテレワーク中心になったものの、さて何をすればいいやらと仕事も手につかず、モチベーションも湧いて来ない中、
いつまで経ってもコロナ禍は2年経ってもまだ落ち着かず(というか、彼らはずっと居座るようになっていた)、
だけど、気持ちを押し殺して無理に出社する必要がなかったことは、
ある意味で当時の僕のメンタル的にも助かっていたけれど、
通勤時間が無くなった分、時間はたっぷりあって、
これからどっちへ進んでいいのかも決めかねていて、漠然としていたそんな時期だった。

そして、毎日noteを書こうと決めていた。

どうして毎日書くの?

うーん、どうしてだろう。

まぁ、色んなことを吐き出したかったんだろうな。
そのためには、とにかく気が向いた時に、とかではなかくて、
無理矢理にでも毎日noteに向かわせて、思っていることを吐き出させて、
吐き出すために考えて、
そんな時間が必要だったんだろうな、と今なら想像できる。
半分くらいは現実逃避?
昇華行動?
そうかもしれない。

それから、2年と10ヶ月以上、何度か深夜0時をまたいでしまって毎日更新がリセットされたことがあったけれど、
1時間遅れでも、毎日1本は何かをnoteに書いてきた。

流石にこれだけ書いていると、習慣に近くはなってくるけれど、
毎日「さぁ、今日は何を書こうか?」と夕方を過ぎた辺りからそわそわしてきて、
ずっと自宅で作業に取り掛かっていた日なんかは、インプットがなかったりして、
とりあずの埋草みたいなおざなりなテキストでお茶を濁すことも増えてきた。

そういう意味では、このnoteもおざなりな埋草みたいなものだ。

それでも、毎日書くことに意味があるのか?
もっと何かのテーマについてじっくり考えてどっしりとしたものを書いた方がいいんじゃないか?
そう思わなくもないが、それはこのnoteの意味とはちょっと違ってしまうから、これはこれでいいんだと思っている。

そういえば、昔からこんなアウトプットをひたすら続けるという行為をしていたんだと気付いた。

昔、WindowsマシンにSONARを入れて、
「よし、なんでもいいからトラックを作り続けるぞ」
とDAWをはじめた頃からのトラックが、さっき数えたら177曲あった。

モジュラーシンセをなんとなく始めた時も
「よし、出来るだけ時間を取って、ゼロからパッチしていったセッションを録音しておこう」
と思って、だいたい2年くらいで録りためたオーディオファイルが252個あった。

最近はMPCでのトラック制作に引き継がれていて、ペースはゆっくりだけど今も増えている。

どれも、その時の感情を音にしたり、テキストにしたり、と吐き出しているだけなんだけど、
それがストレス発散や精神安定になっているんだろうな。

だから、おざなりなテキストだって、自分には意味があるんです。

<了>


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