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告白します-上

子供のころ国語が嫌いだった。
本を読んでもなんとも思わない
なんならなぜ本を読まなきゃならないのか?
と、問うていた。
『笠地蔵』は、日本の昔話のようなのでまぁいい
祖母と暮らしていたせいか昔話は嫌いではなかった
『スイミー』はなんなんだ?そもそもスイミーって?魚だろ?魚がこんなこと思っているのか?
ところでレオレオニーという作家も何人だ?
『スーホの白い馬』は意味不明。スーホ?ホース?
モンゴル?草原?馬頭琴?それはどこだ?
自分の生活と異なりなんだかすごい遠い世界の
話で読んでも頭に入らない、よーわからん。

なんでそんなふうに思ってしまったのか…
最近その理由がようやくわかってきた気がする

全ては『物語』であるので、作られたものだが
自分の暮らしからかけ離れすぎていて
これまでの経験したことがないことすぎて
物語の世界が想像つかず、理解できず
読んでも頭に入ってこなかったんだと思う
要は『理解力』に著しく欠けていたんだと思う

架空の作られたものであっても
何か一つくらい理解できるものがあれば
感情移入というか物語の中に入って行けたんだと
思うのだが当時の私はまったくそう言った機能が
欠けていた。

国語のテストで
主人公はどんな風に思っていたのか?
とか、『この』はどれに当たるのか?など
物語を読んだ上で出される問いには
全く理解できなかった。
もちろん物語を読んで騒然と思うことはあったが
それを『作文用紙に何文字以内で書け』というのは
おいおい、そんなに思うことなんてないよー
という少年だったのでとにかく読書感想文が
嫌いであった。
図書室から毎週本を借りて読めという
ミッションはとにかく苦痛で、
絵とか写真で覆い尽くされているものか
歴史上の人物の伝記を選んでいた。

それから10年が経ち、社会人となりなんとなく
時事ネタを仕入れるため新聞を読むようになると
事実だけの新聞記事に物足りなさを感じた。
だからなんなんだ?この記者は何を感じたのか?
と気になるようになる。

そこで
電車通勤の中で日経ビジネスを読むようになった。
そこに事実があり、そこに解説が付記されている
なんとも読みやすく、スラスラ読めた。
そして自然と『これってこうだよなー』と
小学生の頃、全く湧かなかった『感想』が
自然と湧くようになっていった。

本などに書かれた事実?や物語を読みむ
自分の世界とは違った世界の物語でも
それを一旦理解した(認めた)上で
そこから何かを学ぶ、
そういう楽しさを感じられるようになった。

こう感じられるようになるまで
実に20年以上かかっていた。♪

※『プロジェクトX』と効果音が入りそうな
 そんな自分の中では気づきのタイミングである

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