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雑記事47

今ヴェネチアでは2年に一度の芸術の祭典のビエンナーレが行われている。
この記事を書く前にビエンナーレへ行った方のブログが目に止まったので見ていたのだが、その方にとっては退屈なものであったということだ。
コンセプトばかりが目に付く作品が多かったらしく、その方にはあまり響かなかったと。
スポーツと違って、明確な判断基準があるわけではなく、個々の感性に寄るところがある。芸術というのはどちらかというと競技内での話というよりは競技そのものをジャッジするようなものだと考える。
赤チームが2対1で白チームに勝利しました!という考え方だと、なかなか近寄り難いものになると思うが、そもそもサッカー好きだっけ、自分て?なんで手を使ったらいけないんだろう?野球って9回裏までって誰が決めたんだろう?バットを振るって何から生まれた行為なんだろう?剣道、はおそらく武士の剣術から派生しているよな、柔道はどこからだろう?空手っていうけど本当は唐手っていう文字で沖縄で生まれたんだよなあ、確か?カゴにボールを入れるっていう行為がなんでバスケットボールに発展したのだろうか?
スポーツに例えるとおそらくこういった思案を巡らせることがコンセプトアートと対峙するときの感覚なのかもしれない。
圧倒的な存在感の絵画や彫刻というものは多数存在する。
そういったアートを見た感覚をコンセプトアートや社会彫刻のようなものに期待をするのは、サッカーワールドカップの熱狂を、観客が声を出していると『Quiet!』と審判に注意される静まりきった会場で行われるウインブルドンテニスに求めるようなものだ。スポーツの世界に存在するある種のマナーというものはオペラやクラシック音楽の会場には存在する。そのマナーを解き放ち個々の中に生まれるものそのものを芸術的マナーとして使用するものも現代アート、特にインスタレーションと言われるジャンルには多数存在する。
世界的に大人気のチームラボの作品だって観客が童心に返り、空間で遊ぶことが同時に彼らのアート作品でもあるだろうし、大きなスポンジをチーズに見立てて、ただ置いてあるような非常にとっつきにくい作品も多数ある。(作者はオーディエンスにネズミの気持ちを味わって欲しかったらしい)
オノヨーコにジョンレノンが惹かれた作品『天井の絵』も代表的なインスタレーションの一つだ。
ギャラリーの一角に二メートルの脚立があり、天井には虫眼鏡が吊るされている。
登って虫眼鏡で白い天井を注視するとそこには、


ギャラリーにあるものに触れてはいけないというマナーを守っていたらたどり着けない『YES』の文字。

ビエンナーレへ行ってみよう、続きはその時に書くことにする。

9:55  17.Aug.  2022  Berlin

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