不登校だっていいんだよ…(母として無気力だった日)
今日も1日が始まった…ハァ…ため息。。今から1ヶ月前にものすごく母として打ちのめされた日がありました。。。
【おはようございま〜す(*^^*)♪】
なんて元気に爽やかに心の底から…いつの日か…言ってみたいな…♪
中1息子は現在不登校なのです。。五年の途中から行ったり行かなかったりが、始まって。。
母親としての私の疲れ切ってしまう日々が始まった。。。現在進行形を記していきたいと思います。
(以前の投稿✎久しぶりに読み返したら、まだ、その時は直後に書いたので気持ちが動揺していたのか支離滅裂な文章だったので少しだけ書き直してみました(・・;)✎)
わが家は3人息子です。
三男が現在進行形で不登校。
実は長男もかつては学校に行ったり行かなかったりを五年ぐらい続けてました。
それが、きっかけで私は
カウンセラー資格をとりました。
長男の時も辛かった日々がありました。それもかれこれ10年前の話です。長男は乗り越えて今では嘘の様に元気に明るい青年になりました。
それから10年後にまた。。不登校の親をやる事になり。。色々とわかってはいるけど…本音を、漏らすと………………疲れるょーーー!と
叫びたいです。
子ども一人ひとりに個性がある様に不登校の一つ一つにも個性があり、その深さにもそれぞれの個性があるんだということは解っていた。その内容や表し方は兄弟でも全然違うのです。
4月に中1になった三男…
小学校卒業し、気持ちを、切り替えた様で、最初の10日ぐらいは普通に朝から登校しました。最初の10日ぐらいでした。その後はまたずっと行けなくなりました。
4月
入学式緊張する。。
と、言いながら仲良くしてた友だちに迎えに来てもらって一緒に行けました!
初日に
(違う小学校だった子と友だちになった\(^o^)/)と嬉しそうでした。
それが。。10日ほどたったら…
ーーーピタリと止まったーーー
。。。学校へ行かない。。。
今日は行くのかいかないのか。。
朝起きてくるのか寝たままなのか。。遅刻していくのか。休むのか。。
念の為に私は早起きをしてお弁当を作る
水筒にお茶を入れる
それを、リビングに、置いて
仕事へ行く。。
そして仕事から帰ってきたら、
目に入る…
リビングの空のお弁当箱…
それを見つめる私。。。
全く行かなかった六年三学期。
あれから…中1になってほんの少し登校できただけに…あぁ学校行かなかったんだな。。
と
思った以上に落ち込む気持ち。
でもソレを見破られないように息子に「お弁当おいしかった??」と元気よく聞いてみたりしている。
【うん!おいしかったよ!ありがとう】なんて言われると
(あぁよかっっった)と心を撫で下ろし。。少しばかりかホっとしてしまう。
。。。こんな日々の繰り返し。。。
それでも子どもが家で普通に生活してる。家で元気に笑って生活してる。
コレだけでも素晴らしい事なんだ(^^)コレで、充分なのだ♪♪♪
と。。。この時は。。
それぐらいな感覚だった。
……………………………………………………………
この1ヶ月後にあんなに辛く苦しい時間が訪れるとは思わなかったから。。。
……………………………………………………………
この1ヶ月後に何が起こったか。。
3男の心の闇と葛藤とそれが爆発してまるで息子の中のもう一人が出てきてしまった。。初めてそうなった大変な日でした。。。
10年前の長男には、全くなかった行動でした。
今、こうやって書いてるこの、瞬間も思い出すと震えてくる。
それは………
自分で自分のひじをテーブルにバンバン打ち付け。。
拳をテーブルに打ち付け。。
頭をゴンゴンうちつけ。。
怒鳴り声。。
泣き声。。
鋭い目つき。。
怒り。。泣きじゃくり。。
この時、家には3男と私の2人しかおらず、私は母親なのに。。
うろたえた。。
怖くなってしまった。。
怖いというのは、これは息子が怖いのではなく、この状況になすすべがなく何もできず、どうしていいかわからず不安でたまらなく怖いのだ。。
この時、、私は母親として、ただ、ただ、ひたすらただ、ひたすら…ひたすら…息子の名前を呼んだ。
息子自身を我に返す。。。目の前にいる息子に名前を呼びかけて自分を認識させる。。。
思い返せば…そういうことだったのだろう。
私は必死に息子に優しく
本来の息子に戻ってほしくて…
………………………………………
呼びかけた。
呼びかけた。
呼びかけた。。。
……………………………………
すると、一瞬【なーに?】と本来の息子に戻り返事をしたのだ。
でもまたすぐに葛藤の渦に入り込んで行く。。バンバン!ドンドン!怒り!泣きじゃくり!暴言!
その度に私は息子の名前を呼んで呼びかけ続ける。
怒りも混ざりながらそれでも息子は呼ばれたら【なーに?】と瞬間的に返事をするのだ。
この一瞬だけ本来の息子の声に戻るのだ。
まるでとても幼い子どもの様に。
【まだ大丈夫!】
まだ本来の息子が息子の中に残ってる……………
ちゃんと私の育てた息子がいる!
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
ひたすら唱えた。。。
その間にもずっと聞こえる…
息子の止まることのない怒鳴り声、自分への戒め、泣き声、悔しさ、怒り、自分を責める、責める、責める……………
・
・
・
・
・
かれこれ何時間たっただろうか。。時間が経過するとともに少しずつ感情がダウンしてきた。その時、私は自分の心の中が、ガタガタガタと震えているのがわかった。同時に涙が溢れてきた。私の手のひらは息子の背中を優しくさすっていた。
息子もその手を振り払おうとはしなかったのだ。
しばらくこうしていよう。。
しばらくこうして背中をさすっていよう。。少しずつ全身の力が抜けていくのがわかった。
ようやく負の連鎖がおさまってきたのだ。。。半日かかった。。。
息子のこの時の感情の全ては不安、葛藤、不安、葛藤、不安のSOSのカタマリなのだ。。
理由はわかっている。。
小学校の時に友だちから受けた、いじめでその子の事で何度も学校に相談したのに。。納得した解決が得られずに今に至る。。。
それが3男の心のど真ん中にずっとずっとずっと住み続けてしまい。。
それが思春期と重なって大爆発したのだ。。。
それを受け止める母親という私は。。頭ではたくさんわかっているけど。。心の中はその時、その時でキャパオーバーしてしまい常に疲れ切ってしまうのだった。。。
理由はこんなにわかっているのに。。
もっと早く友だちの事を解決してればよかったのかな。。
時が解決すると思ってた。
世界には苦手なヤツ、嫌なヤツもいるんだという事を学ぶことも大切って思い過ぎちゃったのかな。。。
色んなモヤモヤが頭も心も支配してくる。。
ぐちゃぐちゃ
ごちゃごちゃ
あぁ。。疲れたょ。。
お母さんは疲れちゃった…
3男はずっと戦っている。。。
普段は平然と過ごしてるけれど
何かのきっかけで
この気持ちと自分が向き合わなくてはいけなくなって。。
そうすると色々フラッシュバックして頭も心も混乱する現象に陥ったのだ。。
……………辛いよね。……………
この日はホントに辛くて辛く…
母としての自分の力って全くぜんぜん無いんだな。。って思い知らされて。。どん底になった。。
この日、息子は、気持ちが少しおさまり、夜になった頃、
【さっきはお母さんごめんね。。俺なんか変なになっちゃって。。】
と。。。
そう言って、すとんと眠ってしまった。
辛かったね。。
疲れたよね。。
葛藤して葛藤して葛藤したね。
眠る我が子をみて
物凄く泣いてしまった。。
すごく疲れた時間がこの日ここに、ありました。
精神力も体力ももっていかれ…
この後しばらく何も手につかない日が続きました。。
ただ
ただ
時間だけが過ぎていきました。
✡✡またここで
今より平和になって
会えますように☕✡✡
きっと大丈夫と
願いながら………。
こんなに長文を読んでくれてありがとうございます。読んでくれた人がいるだけで救われます★***✡
学校の先生へ
小学校4、5年生で受けた心の傷がその後、中学生になっても消えず、消えるどころか思春期を迎え、ますます大きな傷となり、本人が、その家族が苦痛と何年間も戦わなくてはならないという、『現実』が、あることを先生にわかってほしい!!
当事者を集めて先生が間に入って謝るという行動をしたから、それで終わり…それで良し…そうではないのです!!!
そのいじめられた側が、その時に、ちゃんと納得しないと…これは心の中でいつまでもいつまでも終わりなく続くのです。
いじめた側はそんな事を言った記憶がない…と言いました。『記憶が無いということはそこまで思ってなかったということでしょう。』と先生は言いました。
こんな、簡単に…この話しを、おわらせてほしくなかった!
こんな言葉を先生から聞きたくなかった…!
ただただ
その時、先生に
この子に寄り添ってほしかった。
その寄り添いの存在がどれだけ傷ついた心を救ってくれたことか。
時間は、戻せないけれど
戻せるなら…せめて
寄り添ってほしかった。
心から
寄り添ってほしかっただけ。
そういう先生がこの世に沢山いますように✦*
(私自身も専門学校の先生やってました。先生ってめちゃめちゃ忙しいけれど…生徒に寄り添うのは私のポリシーです💖)