次世代を思う・多様性とコミュニケーション
【子供の学校生活から】
子供の年齢が上がるごとに、子供の交友関係に親が入っていくことが減った。
自分の子供がどんな子供達と一緒に過ごしているのか?写真で見るか実際に会うまでは、ぼんやりとしか分からなかったり、知らなかったりもする。
聞くと、「何でいちいち聞くの?」と怒られる。
特にアジア系アメリカ人は英語名を付けることが多いので、名前からは人種や国籍を判断できない。
男の子だからなのか?うちの子だからなのか?
写真をマメに撮らないのも原因だ。
年に数えるほどのイベントで、「写真ないの~?」と聞くと、
友達から送ってもらって
↓
息子が自分でスクリーニングし
↓
親に見せられる程度のおちゃらけ写真が
↓
ようやく親のもとに届く。
それも本人が一番遠~くに写っていたりする。オイオイ
そして手に入った写真を見ながら、
「これは誰?名前は?」と聞けるという具合だ。
ところが、写真に載っていない友達もいるらしい。
「男の子?」と聞くと、
「うーーーん、どっちでもない子」という答えが返ってきた。
【性別が多様化している】
男の子でも女の子でもないクロスジェンダーの子供がちらほらと増えてきているらしい。
「どっちかというと、男の子。かなぁ~?」
と、はっきりしないなりに、息子も答えようとしてくれる。
よくよく聞いてみると、成長の過程で、心も身体も男の子だったのが、心だけ女の子に変わったり女の子寄りになったり。や、その逆もあるらしい。外見で判断してはいけない世の中になってきたようだ。
子供達にとって、誰と過ごすかに人種や性別は関係ないのだろう。
同じ授業を取っている。
同じ趣味を持っている。
一緒に勉強して遊んで居心地がいい。
なら、バックグラウンドは二の次ってことらしい。
【親の世代も】
親もすでにXX系2世や3世だから、外見からは想像もつかない程にアメリカ人としてこの地で生きている。
白人は、ヨーロッパ系が混ざって分かりづらいし、アジア系(インドもアジア系に入る)は、3世代ほど在米だと、親世代からアメリカ人だ。ここでもまた外見で判断してはいけない。
そう、人種のるつぼ、アメリカ。
どんどん混ざって、人種や宗教というのは一つの個性、一つの嗜好ぐらいの位置付けになっている気がする。
イスラム教徒だから、豚を食べない。
ベジタリアンだから、肉を食べない。
というように。
【コロナ禍の働き方】
さて、人そのものではなくて、その人々の働き方はどうだろう?
この長いコロナ禍で、在宅勤務が大人気だ!
1に100%在宅勤務
2にHybrid(週2~3回出社)
そして一番不人気なのが100%出社勤務
だそうだ。
(Hannah調べ)
コミュニケーションが上手な人を見ていると、とにかくマメだ。電話、chat、text、LINEやwhatsupもありだ。そして最後にemailがくる。
在宅勤務で社会性や社交性を失っていく人もいれば、この働き方を利用して上手にライフワークバランスを取っている人もいる。
人に積極的に会うことを、ある意味禁じられたコロナ禍。それでも少人数で集まったり、コミュニケーションへの意欲を絶やすことなく、ワクチンを接種して積極的に動ける人、いや動く人がいる。感染が...在宅勤務が...と引きこもってしまう人とでは、全く人間の幅が違ってくるのは当然だと思う。
という訳で、コミュニケーションの大切さを改めて感じている今日この頃です。