AI任せで作成するブログ記事/タンパク質の翻訳と日本の化学の発展

AI任せで作成するブログ記事/タンパク質の翻訳と日本の化学の発展
Feloで検索→Gemini Proでまとめ→とっても便利で簡単
AI任せの記事が信用できるかどうかは微妙だなあ。
信用できないと思う。

こんにちはmakokonです。
先日、雑談の中で「「タンパク質」という日本語を最初に使った人を知っている?」といった話題になりました。makokonは化学者の端くれではありますが、科学の歴史には疎いので当然知りませんでしたが、こういう知らない話をわかりやすく解説するために、AIがあるのだろうと以前から気になっていたfeloを利用して解説記事を作ってもらいました。
結果は、とてもそれらしい解説記事になりました。AIが便利なことは間違いないですね。
ただし、このできあがった記事の妥当性、信頼性については、検証が難しいと感じました。もちろん、根拠となるリンクは示されているのですが、そのリンクも信頼できる一次ソースとは言い難く、信頼性が確認できまぜんでした。そのため、根拠そのものが表面的なものに見えます。
ネット検索結果はあくまでもウワサであり、裏付けが必要であると再確認できました。


解説記事を作成する手順

用意するもの

検索ツール:felo AI
一応、無料で使えるようです。試してみて、気に入れば使えばよいと思います。


チャットAI:使用モデル gemini-1.5-pro 
自作のチャットアプリを利用しましたが、AI studioを利用することができます。googleアカウントによるログインが必要です。

タイトル(仮)を決める

「川本幸民からたどる日本の化学の発展」にしておきます。

必要な情報を検索する

feloページで検索しました。

  1. 日本語のタンパク質の翻訳を最初にした人

  2. 川本幸民は他にどのような科学用語を翻訳しましたか?

  3. 川本幸民の翻訳活動は日本の科学教育にどのように影響しましたか?

この回答結果をすべて”回答をコピー”ボタンを押してmarkdown形式を選択して、適当なエディターに貼りつけておきます。

最初の下書きを作成する。

チャットAIに記事の作成を依頼します。
プロンプト:
以下の情報をもとに、ブログ記事を作成してください。
テーマは「川本幸民からたどる日本の化学の発展」です。
情報:(検索結果を貼り付け)

導入を書いてもらう

出来上がった下書きは堅苦しいのは良いのですが、このままでは一般の読者に、読んで貰えそうにありません。そこで、
プロンプト:
化学、歴史における非専門家向けの導入を書いてください。
この導入が、川本幸民、タンパク質につながるようにしてください。

導入を見てタイトル(仮)をタイトルに修正

「身近な科学、化学!その歴史をのぞいてみよう」としました。

まとめ、ハッシュタグを作成する

今までの、タイトル、導入、下書きをもとにまとめを作成します。
プロンプト:
今までの会話をまとめた以下の記事のまとめを作成し、適切なハッシュタグを提案しててください。
記事:(タイトル+導入+下書き)

完成 noteで投稿する

読んでみて問題がなければ、noteに貼り付けて、見出しなど体裁を整えたら完成です。
(ここまで5分くらいでした。)
投稿しましょう。

今回のnote記事は、「AIで記事を書いてみた」なので、ここまでなんやかんや1時間くらいかけて書いています。


ここからはAIが作成した記事です。

記事そのものの信頼性は、最初に書いたように中程度です。多分専門分野の人には受け入れられないレベルだと思います。
AIは注意して使いましょう。

身近な科学、化学!その歴史をのぞいてみよう

私たちの身の回りにあるものは、すべて小さな粒子の組み合わせでできています。空気、水、食べ物、スマートフォン、そして私たち自身も! これらの粒子がどのように結びつき、変化するのかを探るのが化学です。特に、私たち人間の体を作る様々な物質、例えば筋肉や皮膚、髪などを構成するタンパク質も、化学の研究対象です。
実はこの「タンパク質」という言葉、日本語で初めて使われたのは19世紀、江戸時代後期のこと。蘭学者であり化学者でもあった川本幸民が、西洋の化学書を翻訳する際に作った言葉なのです。
化学の歴史は古く、人類が火を使うことを覚えた時代から始まりました。その後、錬金術師たちが金属を金に変えようとした試みの中で、様々な物質の性質が発見されていきました。そして17世紀頃から、科学的な方法に基づいた近代化学が発展し、日本にも西洋の化学の知識が入ってきました。川本幸民はそのような時代に活躍し、翻訳を通して日本の近代化学の礎を築いたのです。
「タンパク質」という言葉が生まれた背景を知ることは、日本の化学がどのように発展してきたのかを理解する手がかりになります。 現代科学の言葉がどのようにして生まれたのか、そして私たちの生活にどのように関わっているのか、一緒に探求してみましょう。

川本幸民からたどる日本の化学の発展

江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した川本幸民。蘭学者、化学者、兵学者、発明家など多岐にわたる分野で才能を発揮した彼の功績の中でも、日本の化学発展における貢献は特筆すべきものです。本稿では、タンパク質の翻訳をはじめとする川本幸民の仕事から、日本の化学がどのように発展してきたかを探ります。

「タンパク質」誕生物語:卵白から蛋白、そしてタンパク質へ


現代では当たり前に使われている「タンパク質」という言葉。実は、この言葉が日本語に登場したのは1861年、川本幸民がドイツの化学書のオランダ語版を翻訳した時でした。当初は「卵白質」と訳されたこの言葉は、主要構成成分である卵白(ドイツ語: Eiweiß)を由来としています。後に「蛋白質」、そして現在の「タンパク質」へと変化を遂げ、栄養学や生物学をはじめ広く科学用語として定着しました。この翻訳は、川本幸民が化学用語の整備にいかに尽力したかを示す一例です。

化学用語のパイオニア:幸民がもたらした近代化学の礎


川本幸民の影響は「タンパク質」の翻訳にとどまりません。彼は「化学」という言葉自体も初めて使用し、それまで使われていた「舎密」から近代的な用語への転換を促しました。その他にも、「蛋白」「大気」「合成」「元素」など、現代科学でも必須の用語を翻訳・導入し、日本の化学教育の基盤を築きました。これらの用語は、彼が手がけた『化学新書』などを通して普及し、後の東京大学となる蕃書調所で教科書としても使用されました。幸民の翻訳活動は、西洋の最新の化学知識を日本に伝え、次世代の科学者育成に大きく貢献したのです。

川本幸民の功績:科学的思考の普及と日本の近代化


川本幸民の翻訳は、単なる言葉の置き換えではありませんでした。西洋科学の理論や実験方法を紹介することで、科学的な思考方法や実験の重要性を日本に広めました。彼の著作には、化学の基本概念や実験手法が詳細に記されており、当時の日本人にとって、西洋の科学に触れる貴重な機会となったのです。
川本幸民の仕事は、日本の近代化学の夜明けを告げるものでした。彼が翻訳・導入した化学用語や科学的思考は、その後の日本の科学発展に大きな影響を与え、現代の科学技術隆盛の礎を築いたと言えるでしょう。幸民の功績を振り返ることは、日本の科学史を理解する上で非常に重要な意味を持つのです。

まとめ

この記事は、日本の近代化学の発展における川本幸民の貢献に焦点を当てています。特に、「タンパク質」という用語の翻訳を起点に、彼がいかに日本の化学教育の礎を築いたかを解説しています。

川本幸民は、西洋の化学書を翻訳する中で、「タンパク質」をはじめ、「化学」「蛋白」「大気」「合成」「元素」など、現代科学でも不可欠な多くの用語を日本語に導入しました。これらの用語は『化学新書』などを通して普及し、日本の化学教育、ひいては科学の発展に大きく貢献しました。彼の翻訳活動は単なる言葉の置き換えではなく、西洋の科学的思考方法を日本に伝える役割も果たしました。

つまり、現代の私たちが当たり前のように使っている科学用語や知識の背景には、川本幸民のような先人の努力があったことを示し、日本の科学史における彼の重要性を強調しています。

ハッシュタグ

この記事のために
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