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その水面の氷が割れるまで。


ここ10年ばかり、子どもの世界を大人の目で観る機会がある。それは私が母だからである。

先日、私は6年生の息子の謝恩会役員になったので、その出欠を取らなくてはならなかった。謝恩会は学校が主催するわけではないので、先生にお願いしてプリントを配るわけにはいかないらしい。なので男の子部門のプリントの配布・回収はうちの息子にさせるとして、女の子部門の出欠をクラスの女子に頼んだのだ。すると、
「私がプリントを配ったりして目立つと、クラスの女子たちに何か言われるかもしれないので困る」と、彼女の母づてにやんわりと言われた。
なんと。今や教室は、紙すら自由に配れないのか……と絶句。

彼女は別にいじめられているわけでもなく、なんなら「うまくやっている」タイプらしい。そして現在、教室内でいじめが横行しているわけでもない。驚くべきことに、これが極めて普通の日常なのである。とりわけ女の子の世界は以前に増して厳しい。

目立たないように、先走らないように、叩かれないように、嫌われないように、そぉっとそぉっと綱渡りのロープの上にいるような毎日。楽しいときは一緒に騒ぐけれども、みんなと同じ声の大きさで騒ぎ、一人で度を越してはならない。一瞬でも気を許すと叩かれる。特に中学生のLINEの世界など、その心配りが顕著に見られる。見ていてこっちがげんなり疲れる。でも、それが「うまくやっている」ということ。

同質性をそれはそれは厳しく求める社会は、なんだかミラーハウスの中に迷い込んだよう。いや、それ以上に重く病んでいる。そんな中で、子どもたちはどうやって相反して「個」を育てていけばいいのだろうか。

しかし一方、そりゃそうだろうなとも思う。
大人たちがSNSなどで一介のアイドルを、金持ちと付き合って人より飛び抜けてしまった途端にぶっ叩く時代だ。炎上という名のリンチ。子どもなんて遠慮なく、そして容赦なく、出る杭を叩くのであろう。
大人が抱えるストレスは、そのまま子どもの社会に反映される。


昔、アメリカからの帰国したばかりの女の子(小2)を持つママ友が、担任に言われたらしい。
「英語の授業でいろいろと発言しすぎている。そんなに出しゃばっていると、そのうちいじめられますよ」と。
先生ですら異質なものを拒む。慣れない日本で頑張っている彼女を支えて、長所を伸ばす気持ちなどさらさらない。小学校2年生で、もうその気遣いを求めるのか。英語の授業では喋るなと子どもに言わなければならないのか。

しかしあながち嘘みたいな話ではないと思ったのが、この前、息子の友だち(文武両道で賢い)が私に言った。親から、仲間はずれに合わないよう、人よりも飛び抜けそうだったら「手を抜きなさい」と教えられているのだとか。
確かにそれも生き抜く知恵なのかもしれないので否定はしない。優秀ゆえの悩みは深いというか、うちの子にはない悩みというか、そんなことをしなければいけないほど事態は深刻なのか、と。

出る杭になるということは、人と少し違うということだ。人と違うということは、容姿や運動能力、学力、統率力など、何かで優秀だったり、何かで下回っていたり、個性的だったり、自分をしっかり持っていたりすることだ。
とりわけ自分の考えをしっかり持っていたり、個性的だったりする人ほど生きづらい国だと思う。日本は。
なぜなら「個」より「集団」で動いているからだ。「個」を、「自分」を押し殺さなければならない苦しみは、耐え難いものがある。


そもそも学校教育が「同質化」を求めている。
日本は世界でも珍しいほど、その均一化が進んでいて、文科省の働きかけが徹底してすごい。何が一番すごいかっていうと、日本全国どこの学校に引っ越しても、同じ質の授業が受けられるのである。教科書も一定基準の検査をクリアした、同じような内容のものが税金によって配られる。

地域や貧富の格差がないということは大変に素晴らしいことだ。けれども平均値を基準に授業が進められているので、ちょっと飛び抜けて頭のいい子は不幸だ。そして、ちょっと勉強が苦手な子は簡単にドロップアウト。キラリと秀でたものを伸ばしてくれる気配は、本当にまるで皆無。先ほどの帰国子女の子ではないが、賢くて授業で答えをなんでも言える子は、先生から「ちょっと黙ってて」ぐらいの扱いなのである。

たとえば次男は美術や工作にちょっとだけ飛び抜けているのだが、学校側にそれを伸ばす気はさらさらない。工作で、時間もかかるような凝ったものを作ったりしていると、みんなと同じように作りなさいとトーンダウンを求められたりすることもある。つまりは、そういうことなのだ。すべての先生がそうとは言わないが、ついぞうちの子の個性を伸ばそうとしてくれる教師には出会えなかった。素晴らしい先生も中にはいると信じたいのだが。


ちなみに先生用の教科書を覗いたことがあるだろうか。指導の違いがでないように、赤字や囲みによる手引きがたくさんされていて、マクドナルドも裸足で逃げ出す完全マニュアルぶり。教育内容は、御上(おかみ)によって徹底的に統制されている。

このメリットもやはり、どの地域でも、どんな教師であっても、指導内容に偏りがでないという配慮なのだろうが、デメリットとして先生のクリエイティビティは奪われる。テレビ放送だったりロボットがやってもいいんじゃないかというのような授業。教える喜び、そして熱意、工夫した授業が子どもに伝わるときの感動などは、授業参観などを見ていても感じづらい。まぁ何事もメリット・デメリットはあるものだから仕方がないのだが。


このように半ば同質化させられている教師たちだが、私は親になって初めて気づいた。肝心の「いじめ」に関しては、まったくマニュアルがないということを。
2人の息子がそれぞれにいじめられて学校に相談しに行ったとき、または私が子ども同士のいじめを目撃して先生と話し合いをもったとき、ママ友がいじめで担任に相談したとき、先生によってまるで対応が違うことを知った。中にはありえない処理をして悪化の一途を辿ったケースもある。そして、そこだけぽっかりマニュアルがないという事実に愕然とした。
操り人形かのように行き届いたテキストがあるくせに、ここ一番、命がかかっているほど大事な局面については、ノーマークなのである。

もちろんざっくりとした指導要綱があったり、研修があったりするのだろうが、いじめの問題は繊細かつ多様だ。被害者や加害者への配慮や理解、こういう場合はどうすればいいのかといった状況による細かなケーススタディ。それらのデータの蓄積が、まったくできていない。
文科省に「そこはちゃんとやろうよ!」と声高に叫びたい。


いじめに関しては、このクリエイティビティを絶たれた教師たちの器任せだ。すべて彼らのたなごころで決まるのである。
スクールカウンセラーもいるが、相性もあるし技量もバラバラ。権限は少なく、話を聞いてもらってすっきりするというレベルなら有効、という印象。
結局、深刻な不登校やいじめを解決する道すじは、担任や教務主任、最終的には校長などとの相性。彼らの器次第で決まる。こちらから指名して選べないぶん、もはや運である。

プロとして徹底して訓練されていないのなら、そりゃ先生たちだって自信はない。できれば避けたい。どうしていいか教わっていないのに、責任だけを取らされるのは正直嫌だ。
母である私としては、こんな状況で大事な子どもの命を預けるのかと思うと、ゾッとする。

繰り返すが、そもそも同質化、平均化している学校自体が、無意識なのであろうが同調圧を教えているのである。そして、その学校に相談して、いじめや不登校が解決するかどうかは、もはや運とか縁のものなのだ。
解決しないのは、君が悪いんじゃないんだ。


今、私が知っている中で、学校に行けなくなっている子たちや、毎日通うのにとても苦労している子たちの何人かは、とても素敵な子たちばかりだ。私のお気に入りの子ばかりが、この日本の同調圧にやられている。

中には、とても賢くセンスもよく、確固とした自分の考えを持っていて、観察眼もある。何かの才能に秀でていたり、精神的にも大人で、考え方も面白かったりする。そんな個性的な子たちばかりが苦しそうだ。小さいときは溌剌としていたのに、気がついたら籠の鳥のようにじっと下を向いている。
しっかり自我を確立したい時期に、日本のような同調圧を押し付けられていたら、そりゃあ社会不信、人間不信になるのはよくわかる。


私の経験から言えるのは以下のことだけだ。
「なんとか学校時代を切り抜けろ」そして、
「心や体を教室内に閉じ込めるな」と。

私もそうだった。孤独だった。
しかし今、学校で苦しんでいる子たちは、この学生時代さえ生き抜ければ絶対に社会で強い。反対にこの時代に最後まで「うまくやる」ことに徹底した子たちは、もっと後に真綿に首を絞められるように苦しむ。これは呪いや気休めではない。私が見てきた事実だ。

同調圧に乗っかって自分を押し殺したがゆえに「個」を持てない、そして自分に自信を持てない、それゆえに彷徨い、こじらせている大人たちをゴマンと見ている。自分で考える習慣をつけられなくなっている大人は、今でも自分を見失っている人が多い。そして個を持てなかった彼らは、社会に出てからずっと本当に苦しそうだ。なかなかその闇を抜けられないでいる。

今、学生時代に苦しんでいる君は絶対に強くなっている。若い時代にたくさん悩んだぶん、それは大人になったときに武器になる。今はそう思えないかもしれないけれど、無駄なことなどはこの世にひとつもないのだ。

確固とした個があるゆえに、この個を消せと言われる学生時代が苦しいのであって、日本が、社会が、少しおかしいのだ。
個を大事に抱きかかえて苦しんでいる自分を、責める必要は少しもない。よってその個を消す必要もないし、自分の体を消す必要もない。

とにかく好きなことだけに集中して、それが無理なら毎日息を吸って吐くことだけに集中して、この苦しい冬をやり過ごそう。
やがて水面の氷が割れる。この窒息しそうな時期を抜けて、水面から顔を出すときがくれば、君の自由な世界が広がっているのだから……!


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今泉真子 mako imaizumi
ここまで読んでくれただけで、うれしいです! ありがとうございました❤️