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コロナとみんなと保健室
退職後、子どもたちや先生方との思い出話を綴った「保健室からの手紙」をnoteで仕上げて、自分なりに一区切り。
と思っていましたが、数日経って今、またフッと込み上げてきたものがありました。
…コロナと共に過ごした、退職前の数年間を振り返り、どこかに残したい…誰かに伝えたい…と。
多くのみなさんがそれぞれのお立場で向き合ってこられたであろう、コロナ。
学校においても、発生からその都度その都度の流行シーズン、様々なステージに応じて、対策・対応の連続でした。
コロナは、心身の健康にはもちろん、教育のあり方や人としての考え方・関わり方・生き方にまで大きな影響を与えました。
私たち大人でさえ経験したことのない状況が次々と現れそして変化して、国や県、市の教育委員会からの方針を受けるたびに、待ったなしで現場判断し即対応。
今更ながらに、学校での校長先生方のご心労はいかばかりであったかとお察しします。
毎日、刻々と変わる状況に応じて、すぐに決断し全体を動かさなければならないのですから。
例えば2年くらい前の朝の様子を、少し紹介したいと思います。
毎朝のように校長室に関係者が集まって、全校の健康観察の集計結果を見ながら、ほんのわずかな時間でいくつものことを変更し決定していました。校長先生を囲んで教頭先生、主幹さん、教務主任、養護教諭の私。
・感染者や濃厚接触者の人数が増えてきたから、計画していた体育館での朝の全校集会は中止。かわりに、給食時間に全校放送とする。
・欠席人数が急増の⚪︎年⚪︎組は、学級閉鎖とする。閉鎖決定時のマニュアルに従って、関係機関(教育委員会や学校医、学童クラブ、給食センター)に報告。該当の保護者にメールで連絡。担任は閉鎖期間の課題を用意。クラスター認定された場合は、集団検査の手配も急ぐ。
・感染拡大防止のため、昼休みや掃除、クラブ活動や委員会活動など学年をこえて交わることを控えるよう全校に指示。
・蔓延が考えられるため、校内施設の消毒を強化。職員の分担を決める。
・子どもたちへ今一度、指導の徹底を!
・気温の上昇もあるので、熱中症対策と同時進行。気温・湿度・水分摂取もチェック。運動中はマスクを外すなどの工夫を。
・現在の状況や、あらためての注意喚起について文書で保護者へ発信を。(一斉メール、学級便り、学年便り、保健便り)
・明日の行事の変更を。今週いっぱいの行事予定も確認。来週のめどを立てること。特に全校あるいは学年全体で動く活動や校外学習、外部講師を招く活動などについては要協議。
・音楽の授業での歌、笛、ピアニカをどうするか。家庭科での調理実習をどうするか。体育での道具の共有をどうするか。マニュアルを再度確認。
ざっくり思い出すだけでも、このくらいあるわけです。
これらを直ちに全職員へと伝え、それぞれの担当者が動き始める…毎日その繰り返しでした。
もちろん、午前中の体調不良者増加などにより、お昼ごろにまた方針が変わったり加わったりすることも度々ありました。
職員自身も感染したり濃厚接触者になったりしてマンパワーも下がる中、瞬間的に誰かが誰かをカバーしながら、綱渡りのような日々でした。
それでも、「学びを止めない」ために、学校は動き続けなければなりません。
教室も、保健室も、校長室も職員室も、フル稼働でした。
担任も養護教諭も、校長先生も事務さんも、みんなみんなフル稼働でした。
自分の業務を越えてあらゆるトコロに気を配り、気づいたら声をかけあい、とにかく総力で!そう、まさに総力で乗り越えた気がします。
ただ…。
私たち大人は、それが仕事ですから、当然です。「子どもの命を守る」ため、そして「学びを止めない」よう、知恵を出し合って全力で乗り切る。それは当たり前のことでした。
でも…。
子どもは?子どもたちは?
このコロナ禍の数年間、子どもたちも本当によく頑張ったと思います。幼い子から高校生・大学生までみんな。
成長・発達に伴って、ごく自然に生じる色んな思いや欲求を胸におさめて、目の前の状況を無理矢理受け入れ順応しました。
1日中マスクして、給食も前だけ向いて黙って食べて。
休み時間の鬼ごっこでさえ、おしゃべりでさえ、マスクして。
手洗い・消毒。手洗い・消毒。
ひたすら目に見えない飛沫を意識して過ごす日々。
元気でも、病気でなくても、毎日毎日続く検温。
真冬の雪が降る日でも、換気・換気。とにかく換気。
遠足、試合、交流会などがどんどんなくなり、修学旅行も県内に変更。運動会も半日で終了。学習発表会のお客様席も随分制限され…。
もちろんその都度、子どもたちには丁寧な説明を心がけ、理由を理解し納得して感染対策のひとつひとつに取り組めるよう努めたつもりではいましたが、子どもの気持ちを察すれば、いたたまれない思いがしていました。
子どもたちの我慢や諦め、苛立ち、挫折、悲しさ虚しさ悔しさは、一体どこにおさめたのでしょう…。小さな小さな胸の中?
ちゃんと口に出して表現して、誰かに受け止めてもらって、一緒に分かち合って、辛さ・苦しさ・切なさを少しでも減らすことができていたでしょうか。
まわりの私たち大人でさえ、自分がすべき対応にいっぱいいっぱいになっていて、果たして子どもの声に耳を傾ける余裕があったでしょうか。
コロナ禍でも前向きに!と様々な工夫や提案を重ねはしたけれど、今一度あの数年間を振り返り、子どもたちが胸の奥深くにしまい込んだ色んな思いを大切にすくってあげたい…そんなふうに思います。
私はもう保健室の先生ではないので、たとえ出来ないとしても、せめてそうありたいと願います。
一方、大変な時を共に生きた中で、大事なことに気づく瞬間もたくさんありました。
まずは、守るべき命の尊さ。
それを守ろうとする心の強さ。
そして大切な人を思い、相手を察し、時に感謝し、人を信じたり救われたり。
優しさが身に沁みる場面も、たくさんありました。
長いトンネルを抜けた今だからこそ、落ち着いて色んなことを一緒に振り返り、明るい未来を信じたい…と、心から祈ります。