【感想】短編映画『半透明なふたり』|“半透明”を重ね合わせ、“透明”になった彼ら。
「涙」は目に見えるが、「悲しみ」を見ることはできない。
「傷」は目に見えるが、「痛み」を見ることはできない。
「身体」は目に見えるが、「心」を見ることはできない。
子どもの頃、目の前にいる相手の思考や感情を、私が完全に理解することはできないのだ、という事実が恐ろしかった。同時に、私の考えていることや感じていることを理解できる人が誰一人いないこの世界に、私は怯えた。
そんな私は、できるだけ人と関わらないように10代を過ごした。それでも私は、心のどこかで期待していたのだと思う。いつかは、何もかも通じ合って、繋がり合って、分かり合える人と出会えるのではないかと。
「分かり合えないことを、分かり合えたら愛」というようなことが、いつか読んだ本に書いてあった。誰の本だったか忘れてしまっていて、何冊かペラペラと捲ってみたけれど、見つけることができなかった。
「愛している」と言われても、「愛」は目に見えないから不安だ。
会いたいと言えば無理をして会いに来てくれた恋人。話したいと言えば忙しくても電話してくれたあの人。誕生日に欲しいと思っていたパーカーを贈ってくれた友人。
「行為」は目に見える。それを信じることしか私たちにはできない。けれど、それを信じることさえ諦めてしまい、孤独な人も多い。
先日、偶然知った短編映画『半透明なふたり』を鑑賞した。
YouTubeにて6月8日より無料公開されている。
芥川龍之介の小説『鼻』を基に、映画『一度死んでみた』や「CM・au三太郎シリーズ」などで知られる浜崎慎治が監督・脚本を手掛けた。
鼻が顎のあたりまで垂れ下がった鼻男「龍也」を俳優の永山瑛太が、いじめに遭い片目を大けがしてしまった眼帯の女性「文」を女優の川栄李奈が、それぞれ演じている。
龍也と文は、それぞれ身体的なコンプレックスと、心に傷を抱えている。
大きな鼻を気にしていることを、周囲に悟られないように振る舞う龍也。しかし、執拗にSNSをチェックしては無責任な誹謗中傷に心を痛めている。
文は眼帯で傷を隠し、自室に籠もりきり。ヘッドホンで音楽を聴いているのも、他人との接触を避けているからだろう。
「身体的な傷」と「心理的な傷」。
「外部」と「内部」。
「見える」と「見えない」。
龍也と文は、傷つきながらも、諦めることができずにいたのではないかと思う。人を愛したい、人に愛されたいと願うからこそ、人の目を気にしてしまっていたのではないか。そうでなければ、SNSをチェックする必要も、眼帯で傷を隠す必要もない。
そんな諦めることができずにいる“半透明なふたり”だったからこそ、出会い、重なり合うことで“透明”になることができた。目に見えない「傷」や「痛み」を見ることができて、分かり合うことができたのだろう。
傷を背負った2人の、愛の物語を描いた短編映画『半透明なふたり』。色々なことが不透明で、鬱屈としている今この時代に、ぜひ、観てみて欲しい。
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