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2024年9月、初めてのカメラを買った。

1週間ほど前に旅を終え、いつもの部屋でいつもの日常を送る日々に戻ってきた。
そして、旅を終えた次の日、初めての一眼レフを購入した。

いつもの部屋と言えど、1年前の汚いけれども本だらけで居心地がよかったあの部屋でも、半年前の汚い川の横のホーチミンを見下ろすシンプルなあの部屋でもなく、というスパンで変わっている部屋でしかなく、
またいつもの日常と言えど、まだ5ヶ月目のこの部屋の中で真っ当なルーチンなども生まれるはずはなく、
単に寝る場所が定まり、行くべき場所に悩まないで済む日々に戻った、と表現するのが真っ当だろうか。

思えばここ数年で、私は生活というものの送り方をすっかり忘れてしまっていたような気がする。

この夏は7月22日に出発したイギリスでの2週間の生活に始まり、8月初めの5日間の東北旅、8月終わりから9月初めの3週間の自転車旅と、この部屋にはほとんど居ない生活を送っていたし、
夏が始まる前の季節は、家に引き篭もったり、定まらない仕事を色々やってみたりと、自分でもよくわからない生活を送っていた。
その前は半年ベトナムに居て、その前の半年は犯罪被害の裁判や通院などで生活はままならず、その前の一年は初の一人暮らし。

よく考えれば、よく分からないままに暮らして来た日々は、数えればもう2年半に達する。

2022年4月 大学入学・一人暮らし開始
2023年1月 事件勃発
2023年9月 ベトナム生活開始
2024年4月 大学復帰
2024年7月 イギリス×東北旅×自転車旅
2024年9月 ←←Now

3年 / 20.1年 大きなこと

生活というものは重要で、一歩一歩踏みしめなければならないもので。生活が定まらなければ当然先の見通しなど立てられるはずもない。今の私の不安定さはそれゆえなのだろう。


そういうわけで…。(?)

大学3年目、2年生の夏。
今、私は、将来が1mmも見えない不安定さに喘いでいる。
だから思い立って、カメラを買った。


ファインダーを覗けば、生活は減速する。
その瞬間さえあれば、なんとかやっていけるような気がして。

向日葵の姫
夏の終わりの一日の終わり
光を吸い込む葉
君がニラだとは誰も思うまい
可憐な背中
背筋が伸びる木漏れ日
そりゃ写真撮りたくなるよねこの景色
このせいで喘息になったのに見惚れてしまうその煙
ただ君だけを
ぽとり、ぐちゅ
熱の蓄積


私は大学をこのまま続けて行くのか。
でもオプションとして他に何が存在するのか。
そもそも私はどのように生きるべきなのか。
選択肢が見えてきたとして如何に決めるものなのか。

ここにいればかなり安泰な将来を得られる場所に進学したはずだけれども、こうも上手く行かなくなったのは、なにゆえだろうか?

原因を考えても仕方はないのだけれども、色々な日々を経て、様々な葛藤や発見を通り抜け、この大学を辞めるという選択肢まで浮上してきた今、自分が半年後に私がどこで何をしているのかが本当に1mmも見えなくて、不安に苛まれてはどうして良いか分からなくなって全てを投げ出したくなる日々が続いていた。
努力することも、その為に何か決定を下すことも嫌になっている私がいた。

これらの原因を生活の不安定さに帰すことは間違っているとは思うけれども、今の生活も定まらなければ、少し先の未来も定まらない、そんな中でどうして心の平穏が保たれようか。


.


そんなことに旅をしている最中に気付き、まずはこの日常をなんとかする術が欲しくなった。
それがカメラだった。
ファインダーを覗いて息を止めて瞬間を切り取る、あれがあればなんとかなるような気がした。
実際カメラがあれば、生活はなんとかなった。
そういうわけで今、私の生活の中にカメラがある。

どうせ定まらない未来だけれど、今が整えば不安は薄れる。未来は今に続くものなのだから、今が定まれば未来もいずれ定まる。その楔に、カメラがなる。
そういうわけで、カメラを買った。
そういうわけで、生活にカメラが入って来た。
だぶんそういう訳で、私の不安はかなり減った。

夏の置き土産の中でも、多分かなり良いものだった。

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