母の背中
川上弘美さんエッセイ 「なんとなくな日々」より
台所の闇
台所には台所の神がいたり、台所は生と死に深くつながる場所だと言われたり、なるほど台所は便所と同じく特別な場所なのだろう。いちにち家の中にいて夜が来ると、自然に気持ちが台所に向かうことがある。何かを作ったり洗ったりするというわけでもなく、台所にただ佇んでじっとしていたいような心もちになるのである。冷蔵庫がぶうんと唸る音を聞いたり、電子レンジの時計の表示がぷつんぷつんと移りかわっていくのを眺めたり、湯沸かしのかすかな炎の音を聞いたり、棚の上にいつもある大きな鍋を見つめたり、ただそんなことをしたくなるのである。
私の母は、家族のご飯を作っても一緒に食卓を囲むことはなかった。それがどうしようもなく寂しかったことを思い出す。
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私の母は九州の田舎に生まれ、活発で勉強も出来るクラスの人気者だった。女子大の英文科をを主席で卒業した後は英語の教師となり、2年後には父と結婚。また2年後には私を産み、3年後には妹を産んだ。専業主婦の王道のような人生だと思う。父親の暴力と毎晩行われる夫婦喧嘩を除いては。今考えると母は父の相手と私たちの育児で精神的に安定しなかったのだろう。私達が言うことを聞かない時、母はしょっちゅう家出をした。小さい頃は泣き叫んで止めていたが、私達もだんだん面倒になり「ああ、行ってらっしゃい」と送り出すようになっていた。夜家を飛び出しても、朝になると平然とした顔で台所にいて私達の朝ごはんを作っているのだ。またある時は、化粧品のマルチ商法にハマり突然パートを辞めて来たこともある。勉強会なんかにも参加していたが1年足らずで辞めた。
そんな母でも幼少期は私たちを愛情深く育ててくれたと思う。あんな環境でも母がいたから生きていられた。私たち3人はいつも一緒だった。
しかし食事の時だけは違った。母は家事で忙しいから一緒にご飯を食べてくれないんだろう、すぐにキレる父が怖いから近寄りたくないのかもしれない。私たち姉妹の世話で忙しいから食べる暇もないのかもしれない。私達が食べている間に母は洗い物を済ませたり、洗濯物を畳んだりしている。父が居ない時は一緒にテレビを見たりもしたが、隣に座ってはくれなかった。母が普段何を食べているのか不思議だったが夜中に何度かラーメンを茹でている姿を目撃した。気丈な母が一人台所でインスタントラーメンを食べているのを見るとどうしようもなく心が痛む。仄暗い台所に佇む母の背中はとても遠く、まるで心の距離を表しているようだった。支えになってあげられないことが悔しく、また寂しかった。
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あれから数年、私がご飯を作る立場になった。凝った料理は作れないが、食事の内容よりもまず一緒に食卓を囲むことを第一の目標とした。どんな手抜きなメニューだろうが食事中は子供と同じ視線でいたい。後片付けがあろうが一緒にご飯を食べる。自分が教育熱心ではない分、一緒に食事をした思い出、誰かがそばにいてくれるという安心感だけは与え続けたい。対等な目線で食事をすることで、我々家族は総じて対等であることを教えたいと思っている。
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今思うと母は『私はご飯を食べずに頑張っているんですよ、あなたたちのために休まず働いているんですよ』そんな暗黙のメッセージを送ってきていたような気もする。誰かに頑張りを認めて欲しかったのだろう。少し偏った愛情だったと思う。それでも私達は母が大好きだったし、あの頃の母を、そして父も責めるつもりはない。
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夜、台所にたつ。母の背中を思い出す。母は一人で何を考えていたのだろう。ぼーっとしていると台所の闇に吸い込まれてどこかに行ってしまいそうになる。私は何度も台所で生死を考えた。母だってきっと、もしかしたら私以上に考えたことがあるはずだ。母の力になりたいと何度思ったことか。そして何よりも
泣いている母の背中をさすってあげたかった。
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