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なぜnoteが毎日続くのか

日記すら書けない私がここ2週間ほど、noteを毎日書いている(よく日をまたいでいるが)。

「キューバな生活を始めてみよう」と思って始めたnoteは、しばらく途切れたままだったのだが、年末に「新年の抱負を先取りしてみた」という記事で「noteを毎日書く」と宣言してしまった。

それが始まりだった。

目標は公言するのがいい?

「目標を達成するには、まわりに宣言してみましょう」という言葉をよく聞く。周囲の人の注目を、前向きに利用することができるからだ。

米国では逆の言葉をよく聞いた。「本当にかなえたい夢があれば、まわりに語るな」と。

その心は、周囲に言うと満足してやる気が落ちるとか、嫉妬されて足を引っ張られるとか。理由はいろいろあるようだ。

私のnoteについていえば、公言したのがよかった。

「書くことがないから今日はやめようかな」と思ったのが、書き始めて3日目の元旦だった。

「(先取りした)新年の抱負を正月にやめるのはダサい」と、辞めるのを思いとどまった。

カレーを毎日食べに行くように

しかし、そのあともなぜかnoteが続いている。公言したからというより、ハマってしまった感じなのだ。

バターチキンカレーが気に入って、同じ店に毎日食べに行ってしまう、というふうに。

眠くて面倒なときもある。だが、書き始めると味わいがある。

もしや、晦日に掃除から逃げてnoteを書いた(トホホ)ように、重大な何かから逃避しているのだろうか。

そんな疑念が頭をもたげたとき、あることを思い出した。

書くことで救われた

高校の友達が、私が米国留学中に送っていたニュースレターが出てきたと、写メで教えてくれたのだ。

ブログが流行する少し前、「マキコのされどアメリカ通信」というニュースレターをA4(レターサイズ)両面に刷って、みんなに近況報告をしていた。

初めての海外暮らしは七転び八起き、留学生活は大変すぎて泣くに泣けず、ニュースレターを書くことで救われたのだ。

ハプニングも孤独も、視点を変えれば笑ったり学んだりできる。書くプロセスが、日々を面白くするスパイスになる。

リラックスしないと書けない

ニュースレターもnoteも「人に読んでもらおう」とするから、読む側の視点に立って、自分の経験をみなおすことができる。それがいいのだ。

仕事で書くのは緊張を伴うけれど、noteはリラックスしないと書けない。

リラックスして書くのは、緊張して書くよりも実は「準備がいる」のだけれど、その時間が癒しとなり、日々のリズムとなる。

初心に戻って新しい挑戦をしているような、今日この頃なのだ。

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斉藤真紀子
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