『麒麟がくる』明智光秀の抱いた理想と現実【ドラマ評:大河ドラマ麒麟がくる①】
こんにちは。
今回は、2020年放送のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』を紹介します。
後にも詳しく書きますが、このドラマは、
様々な事象や想いがメタファーとなって複雑に折り重なり、
ダイナミズムを形成している
そんな場面が随所にみられる名作です。
(私のドラマオールタイムベストです。)
それが良く表れた場面を紹介します。
1.『麒麟がくる』概要
『麒麟がくる』は2020年放送のNHK大河ドラマ。
概要は下記。
2.場面紹介 第22話
今回紹介するのは、第22話「京よりの使者」の終盤の場面。
主人公である明智十兵衛光秀(演:長谷川博己)は
故郷美濃の国を追われ、越前の朝倉義景(演:ユースケ・サンタマリア)のもとに身を寄せていますが、盟友・細川藤孝(演:眞島秀和)の求めを
受け、足利義輝(演:向井理)に拝謁するため上洛します。
当時、三好氏との抗争によって力を失いかけていた義輝。
なんとか将軍としての実権を取り返さんと苦心する彼に向かって、
十兵衛は、復権には「強い大名」の支えが必要と語ります。
そして、その「強い大名」として、
尾張の織田信長(演:染谷将太)を提案。
義輝は十兵衛に信長を上洛させるよう密命を与えます。
尾張への道すがら、十兵衛は高ぶった気持ちを静めるため、
京の名医である望月東庵(演:堺正章)の庵に立ち寄ります。
庵に入り、土間から式台に腰かけた十兵衛。
そして語り始めます。
「あるお方」及び「月」とは十兵衛が敬愛する足利義輝のこと。
その雲を払いたい=なんとか力になりたいという想いの
メタファーとなっています。
十兵衛の目指す理想の世とは、武士が誇りをもてる世。
将軍を軸としその下に武士が付き従う体制。
足利義輝を軸とする室町幕府の再興を意味します。
今回のミッションを達成すれば、その理想に近づくための一助になるかもしれない。
これまで蓄積した想いが、高い山のように立ちはだかっている。
彼はその山を自らの脚で登る決意をしたのでした。
そんな十兵衛に、東庵は以下のように声を掛けます。
ここで、東庵は「治るものは、おのれの力で病を治す。」と語る。
つまり、強い大名の手助けを借りなければ生き延びられない
足利義輝=もう助からない病人と東庵は暗に示しているわけです。
応仁の乱以降、相次ぐ戦乱を鎮静化できない、
「室町幕府」という脆弱な政治体制自体を指しているのかもしれません。
そして、東庵は続けます。
十兵衛はある意味古い価値観で生きる人間。
市井の立場から世を見ている東庵は、その限界に気づいている。
でも東庵は、理想に燃える十兵衛を勇気づけます。
それは期待とも、祈りともとれ、ある意味痛々しく感じられ言葉。
その後の十兵衛の苦しみを暗示しているかのような場面でした。
このように、本場面は
・十兵衛の決意
・室町幕府の限界の暗示
・東庵の期待と祈り
・十兵衛のその後苦しみの暗示
様々な事象や想いがメタファーとなって複雑に折り重なり、
ダイナミズムを形成している
このドラマの魅力を最大限表した場面と言えると思います。
そして、『麒麟がくる』が放映されたのは2020年。
そう、コロナウイルスが蔓延した年です。
ドラマや映画が計画の見直しを迫られる中、
『麒麟がくる』もその例に漏れず、撮影中断伴う放送中断期間を経て、
2020年8月30日の第22話をもって放送再開をします。
コロナ渦に伴って脚本を再考したのか….
は分かりませんが、「病」を引き合いに出したこの場面は、
世相もあいまって、当時の視聴者にの様々なことを訴えかける
結果となりました。
以上、長々とお読みいただきありがとうございました。
第21話までは、斎藤道三(演:本木雅弘)や松永久秀(演:吉田鋼太郎)、そして織田信長等様々な人物のビジョンや考えを吸収する
いわゆる「受け」の場面が多かった光秀。
この第22回を皮切りに一気に歴史の表舞台に躍り出ます。
『麒麟がくる』には他にも名場面が多々ありますので、
引き続き紹介できればと思っています。