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私の講演からヒントを得て開発されたお寺のブランド味噌(富山県高岡市)
お寺のブランディング、味噌の歴史に興味がある人はぜひ最後まで読んでほしい
私がオンラインで毎月講演をしている「万葉ロマン塾」。熱心な塾生の一人の彌永(やなが)昭弘さん(富山県高岡市在住)から5月末に完成した「国泰寺味噌」をお贈りいただきました。
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高岡市にある国泰寺(こくたいじ)は全国的にはあまり知られていませんが、なんと禅宗最高の格式を持つ京都の南禅寺と同格の存在です。
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明治維新では廃仏毀釈の余波を受けて荒廃するも、江戸無血開城の陰の立役者である山岡鉄舟が再興を図りました。私は山岡鉄舟の大ファンなので、とても興味深いです。
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私は彌永さんに案内をしていただき、一度だけ国泰寺を参拝したことがあります。遠くから見た三重塔がとにかく美しかったです。
聞くと法隆寺や薬師寺の修復を手がけた伝説の宮大工の西岡常一が手がけたとのこと。富山で三重塔は珍しい!
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「国泰寺味噌」は彌永さんが企画した地域ブランド商品で、私もほんの少しだけ関係しています。
4月の万葉ロマン塾で私は自分のルーツである京都府宇治市にあった「槇島城」の話をしました。
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槇島城の城主は私の先祖かもしれない槇島昭光。この人は室町幕府最後の将軍である足利義昭の側近でした。
「槇島城の戦い」で織田信長に敗れた義昭一行は各地を流浪するのですが、紀州の興国寺に潜んでいた時期がありました。
(ちなみに、槇島家の一族は関東に逃げて、巻島に名字を変えたという記録があります。詳しくはまた別の機会に…)
さて、興国寺を開いたのは法燈国師。この方は中国の宋から味噌醤油発酵法を日本に伝えたとされ、「味噌醤油国師」とも呼ばれます。(興国寺の修行僧が信州の寺で作ったのが信州味噌の始まりと伝わる)
この法燈国師のもとで修業を積んでいたのが、国泰寺を開いた若き日の慈雲妙意(じうんみょうい)。慈雲妙意は法燈国師が亡くなった後、後醍醐天皇に仏法を説き、「清泉禅師」の号を賜るほどの偉いお坊さんになりました。だいたい今から700年くらい前の話です。
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そして、江戸時代になり、国泰寺は5代将軍徳川綱吉から法燈派総本山を命じられ、味噌醤油国師を引き継ぐ唯一の寺となります。そのゆえんで、今でも毎年信州味噌が届けられています。
彌永さんはこの一連のストーリーに目をつけて、国泰寺味噌づくりを企画しました。
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今年はちょうど慈雲妙意の生誕750年慶讃法要が行われる絶好のタイミングで、味噌は大きな話題となりました。
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彌永さんはもともと福岡県の久留米出身。会社員時代は転勤族で最後の勤務地が高岡でした。その歴史的魅力に惹かれ、定年後も住み続けます。
この味噌づくりが実現できたのは、彌永さんが10年以上にわたり地道な地域活動をされてきたからだと思います。様々な縁がつながっています。
文章を書きながら槇島昭光と彌永昭弘が「昭」でつながっていることに気づきました。やはりこれも何かの縁かもしれません。
今後も「国泰寺味噌」についてウォッチしていきます。お楽しみに!
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