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【朗読】牧野信一「香水の虹」(短編/青空文庫)
今晩は牧野信一「香水の虹」を朗読しました。
「香水の虹」は、拙著の中でも紹介しています。
(前略)
読み手の心にいつまでも残る、読み手の感覚にかっきりと刻み込める描写ができるか否かは、作者自身がその場面を鮮明にとらえているかどうかにかかっている。作者はその目に映るものを、読者の目に浮かぶように伝えるのである。
では、色と香りが印象的な作品をもう一つあげてみよう。
牧野信一という作家がいた。私の父の年嵩の従兄弟だった。私が生まれるよりもずいぶん前に亡くなっているので、私は会ったことがない。のみならず私は、親戚にそういう作家がいるということも、ずいぶんあとになるまで知らなかった。家には牧野信一の本が一冊もなかったからである。
私が牧野信一の本を読みはじめたのは、三十代も半ばを過ぎてからである。神田の古本屋で求めた本を手に、一人で小田原の墓を訪ねたり、泉岳寺付近をうろうろしたり、なんだか少しずれた、ずいぶん不器用なアプローチばかりしているように思う。「泉岳寺付近」というのは、好きな作品のタイトルだ。作中、泉岳寺近くの居酒屋に日参している貧乏作家が、酔うたびに財政の窮状を嘆く、こんな口癖が気に入っている。「どうもまるで、漠然たるものじゃないか」。まったく生きていくということは、この台詞そのものだと思ったりするのである。
二〇〇二年、彼の全集が筑摩書房から刊行され、それまでの全集には収録されていなかった作品数十編も収められた。そのなかに、「香水の虹」という短篇がある。一九二一年、雑誌「少女」に発表された作品で、みつ子という若い女性が主人公だ。こんな内容である。
姉が京都に嫁にいってしまってから、もう一年。結婚当初は週に一度くれていた手紙も最近は滞りがちで、みつ子は寂しい思いをしている。自分が病気になったという嘘の手紙を書いて、姉を驚かせてやろうかなどとも考え、自己嫌悪に陥る。奥から母が、「みつ子!」と呼ぶ声がするが、返事もしないでいる。
すると母がみつ子のいる窓辺までやってきて、「いいものをあげますからいらっしゃいよ」と言う。みつ子が居間に行くと、姉からの小包が届いていて、開けてみると香水の瓶が入っていた。けれど手紙は母宛てのものしかない。手紙には、姉が体調をくずして休んでいることが書いてあった。みつ子は、姉を責める気持ちをいだいたことを恥じ、姉の身を案じる。そして自分の部屋にもどり、姉への手紙を書きはじめるが一行も書けない。
いっそのこと京都に行こう。明日にでも行こう……。みつ子はそう決めると明るい気持ちになり、また窓のところに行く。
一輪ざしにさしてあるカーネーションに、そっと唇をふれてみる。花弁の冷たさが胸に快くひびく。みつ子は姉から送られた香水のスポイトを、軽く指先で押してみた。
以下がそのあとに続く文であるが、私は、この場面を読むたびにうっとりしてしまう。溶け合った色と香りが、芳しくあたりに満ちてくる。文であらわす映像美。まさに目に浮かぶように描かれている。ちなみにカーネーションが姉の好きな花だということは、作品の書き出しにさりげなく記されている。これもまた、サンドイッチのテクニックである。
注・「サンドイッチのテクニック」というのは、私が『童話を書こう!』シリーズのなかで述べている創作技法のうちのひとつで、名付けたのも私です。簡潔にいうと、話の書き出しとラストを、同じ背景や人物や小道具で収めると、作品はまとまりがよくなりますよ、ということ。ただし、すべての作品に当てはまるわけではないのでご注意を!
『香水の虹』ラストです。
日当りのいゝ窓に置かれたカーネーシヨンの花に、香水の霧がさんさんと降り灑いだ。金色の陽の光りと香水のしぶきと、薄紅色の花の香とが巧に溶け合つて、みつ子の瞳に不思議な恍惚を覚へさせた。
みつ子は面白くなつて、尚もしきりに香水を吹きかけた。
ふとみつ子が見ると、花の蔭に、乱れ飛んだ黄金色の日光の渦巻の一端に、小さな香水の虹が小人島のそれのやうに、ほんのりと浮かびあがつてゐた。
みつ子は驚いて、香水の虹を凝と見詰めた。虹はすぐに消へた。
牧野信一の作品はほかに、「地球儀」「街上スケツチ」「センチメンタル・ドライヴ」「鸚鵡の思ひ出」「I Am Not A Poet, But I Am A Poet.」「四郎と口笛」「蛍」も朗読しております。(以下、牧野信一作品の再生リストです)
あわせてお楽しみいただけましたら幸いです。