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最初に得た友の話
私が人生の断捨離をし、心身軽くなった頃から、私の「価値探し」が始まりました。
断捨離とはいえ半世紀の人生、完全にゼロリセットされる訳ではありません。歩んできたベクトルと、それにともなって自然と自分に吸い付いてきた最小限の要素は、「個性」として残ります。
それでは、「個性」と何とをコラボさせたら「価値」になるのか。
自らの足で探しに行って、機会を見つけては徒労に終わり、その幾度とない繰り返しで疲弊しかけていたある日、ネットで見かけた、とある不思議な行動をする人のことが、妙に印象に残って離れませんでした。
その人の日課は、「ふんどしランニング」でした。まさに裸、まさに丸腰。鍛え上げられ、日に焼けて逞しく黒光りする肉体は尊いくらいに美しく見えましたが、とはいえ現実的に考えて、その行動といでたちは、一般社会で絶対に悪目立ちするはずです。
「滑稽にして孤高」
まだ何も知らなかった私にはそう映りました。でも、それは私のベクトルと共鳴するものがありました。
それは実に男らしく潔く、反面馬鹿馬鹿しいものでしたが、生まれもって性別を持たない私の目には、逆にそれが清々しくしなやかで無駄も邪気もない、清淑の証に見えました。
その人のブログには、「禊」についての、何の宗教にも思想にも影響を受けない持論が書かれていました。当然「徳と穢れ」にも言及していました。
この人も、迷いを抱えている。
煩わされ、悩んでいる。私と同じように。
会って、話を聴きたい。私の生き方考え方を聞いてもらいたい。行動をともにして、個性を共有して、相互に価値を創り出したい。
この衝動は、抑えられないどころか、まるで抑える気の起こらない独特のものでした。
数回のオンラインでの連絡を交わしていくと同時に、異なる個性を持つ「人」が増えていきました。
そして2016年夏、日本海で私の「最初」が刻まれました。
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