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恥ずかしさを糧に今日も書いていく。


藤原華さんの主催のコンテスト「#なぜ私は書くのか」に参加させていただきました。


参加した理由は

・自分の軌跡を残しておきたかった
・文章を書き始めたときの気持ちを思い出したかった
・自分の文章を見つめ直すキッカケにしたかった

書きたいこと、想いだけは乗せて書き上げました。

そしてきたる中間発表−−−−の前に、中間選考の審査員であるジャスミンさん(仮)から、フィードバックがありました。

コンテスト=入賞者の発表をもって返させていただきます。

そんなイメージだったのに、フィードバックをいただいたんです。

それがこちらの記事▼

160,000字に及ぶフィードバック。

こんな長文のフィードバック、もらったことありますか?

冒頭から目をつむりたくなるくらい強烈で、ボディーブローを喰らったあとも、ボッコボコにされて、リングの中に置き去りにされたような感覚になる(もちろんそんなことされたことないけど)フィードバック、もらったことありますか?

私はありません。

とんでもなコンテストに応募してしまった....とそう思うくらい、羞恥心で顔が熱くなりました。

読んでくれる人の気持ちを考えていなかった

そもそも、前述した理由で参加してはいけなかったんです。

読んでいただけたらわかると思うのですが、「だから何?」「知らんがな」だらけで読者の方に何一つ得がない文章。

私の軌跡なんて読んでも誰も「得」しないし、文章を書き始めたときの想い、文章を見つめ直したいなんてお気持ちを表明したところで「知らんがな」でしょう。

文章を書くことを生業にしたいと思いながら、審査員含め、読んでくださる方の時間をもらっている意識がなく、「書けそうなテーマだから書いてみよう〜」となんて軽い気持ちで書いて、エントリーしてしまっていた....

恥ずかしさでいっぱいになり、穴があったら入りたくなりました。

中間発表を見て気がついたこと

反省点ばかりですが、他に気がついたことも。

・いいね数は比例しない
・文章の長さは関係ない

noteをしているとどうしてもいいね数を見てしまいがち...

でも、いいね数が多いから突破できるわけではなく、少ないものでも惹きつけるものがあればコンテストを突破できるものを持っているんですよね。

「〜のような文章を書きたい」と言いながら、自分語りばかりで、実行ができていない。

人に●●を届けたい、伝えたいのであればどうすべきなのか明確にして、実行していかなければいけないと思いました。

「#なぜ、私は書くのか」に参加して...

今回コンテストというものに初参加。


もちろん落選組ですが、普段フィードバックをいただく機会が少ないがゆえ、愛あるフィードバックがとても刺さったし、次に進む大きなキッカケになったのは間違いありません。


このコンテストを主催してくださった藤原さん、貴重な時間を使ってたくさんの作品を見て、フィードバックをくださったジャスミン(仮)さん....


参加者の一人として、noteに掲載していただいたこと、大変嬉しく思います。


また、いただいたフィードバック、恥ずかしさを糧にして、これから成長していけるよう書くことを続けていきたいと思います。


改めて、ありがとうございました。

そして、中間発表を突破した猛者の皆さん、おめでとうございます。

これからみなさんの作品を読んで、勉強させていただきたいと思います。

おこがましくも、いつかどこかのコンテストで肩を並べられるよう....


私は書き続けたいと思います。


落とされた理由がハッキリわかるnoteはこちら▼
(一例として置いておきます)

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