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京仏師 松久朋琳師の思い出

(イラストは、画家・奥田みき氏「光の幻想アート」より)

友人が趣味で仏像彫刻を始めたのを知って、久しぶりに思い出したことがある。それは、京都の著名な仏師(仏像彫刻家)、松久朋琳師のこと。師の部屋で、二人だけでいろいろな話しをして下さった。

30歳の頃、ある方から松久朋琳師の著書『佛の聲を彫る』を薦められた。当時、私は仏教や仏像に関心は無かった。仏像は嫌いではないが、ただ馬鹿でかいだけや、金を塗りたくっただけで、造形美のかけらも無いような仏像だけは、大嫌いだった。権力と欲望の象徴以外の何ものでもないと思っていたから。
 
しかし、日頃その方の価値観に共感していたこともあり、とにかくその本を読んでみることにした。
 
著書を、そんな気持ちで読み始めたものの、読み終えた後は、深い感動に包まれた。ただただ、この方の精神性に感銘を受けた。師は80歳代前半で、「覚醒した人」というのは、こういう方の事をいうのだろうと思った。この世の中には、芸術家、専門家、知識人と呼ばれる人達はたくさんいるけれど、「覚醒した人」というのは極めて稀な存在に違いない。
 
何とか一度お会いしてみたいという思いは日に日につのり、とうとう京都九条山にある松久師の工房に、事前に了解も得ず追しかけた。連絡をしたら、電話に出た方から断られるに決まっていると思ったから。
 
工房にうかがうと当然のことながら、応対に出てきたお弟子さんとの間で、何度も「無理です」「お願いします」のやり取りがあった。それでも最後には、「横浜からやって来た」という言葉に呆れ、松久師にうかがいに行ってくれた。お弟子さんはすぐに戻ってきて、「お会いするそうです」との返事。

玄関から中に入ると、一階は広い作業場になっていて、たくさんのお弟子さん達が、忙しそうに動き回っていた。二階の部屋に通されると、床の間を背に、ひざの上で小さな仏像を彫っている松久朋琳師がいらした。
 
「いらっしゃい。お入りなさい。」と、とても穏やかな表情で話しかけて下さった。事前に了解を得ることなく押しかけたことに対しても、とがめるような言葉は一切なく、終始穏やかな表情をされていた。
 
著書で感じた印象そのままだった。そして、一時間程の間、仏像のこと、この世の中のこと、生きるということ等、いろいろなお話しをして下さった。
特に、「この世の救い」について語って下さったことは、今でも忘れることはできない。初対面でしかも何もわからぬ自分に、こんな話しまでしてくださることに、ただただ感激した。
 
そして、それから5年ほど経ったある日。その松久朋琳師が亡くなったという新聞記事を、偶然に目にした。亡くなられたことだけでなく、その記事で初めて知って驚かされたことがある。
 
自分は仏像彫刻については何もわからないけれど、松久朋琳師ほどの方なのだから、その作品は仏像彫刻の世界では高い評価がされているに決まっているとは思っていた。しかし、「東洋のミケランジェロ」とまで呼ばれた方だったと、今になって知り本当に驚いた。
 
あの時の無礼さを改めて恥じたが、その一方で、その時の自分の熱い思いを実際に果たした自分を、褒めてやりたい気持ちだった。あれから数十年の歳月が流れたが、改めて松久朋琳師への感謝の気持ちでいっぱいだ。
 
仏像彫刻を始めたその友人が彫刻技術を学んでいる本も、なんと松久朋琳師の著書だと知って、なんだかとても嬉しかった。

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