【エレン先生の短編小説08】今からジョーカーの話をします
「さあ、今日はジョーカーの話をするよ」
エレン先生は、そう言って席についた。
「ババ抜きではジョーカーって嫌われるけど、他のゲームだと最強だよね」
皆はふふんと聞いていた。
小学校の図書室内の、特別室。
鍵は先生しか持っていない。それはエレン先生だけじゃなく、先生、と付く人ならば誰でも。
給食終わりの長い休み時間。その時間にここを開けるのは、エレン先生だけだ。
近辺の小学校を日替わりで訪れている英語担当のエレン先生は、ここで色々な話をする。
一週間前は石の話だった。
この前僕は、駅で困っているお年寄りに勇気を出して声をかけた。
二週間前はたしか、卵の話。
人間のことが少し嫌いになりそうだったけれど、こんな世界を変えられるのも人間だけかもしれないと思った。
そして今日はジョーカーの話。
学年性別問わずに彼のファンが、この部屋に集まった。
「時にはキングやクイーンよりも力を持つジョーカー。例えば七並べ。これは一枚ずつ数字の順番にカードを置いてかなくてはいけないゲームだよね?」
君はジョーカーを持っています、とひとりの児童に視線を向ける。
「どう使う?」
「置くべき数字が手札になかったら、そこにジョーカーを置いて次の数字のカードを出します」
「ワオ。ジョーカーは他の数字に化けられる上に、続けてもう一枚出せちゃうんだ」
「はい」
「最強じゃないか」
エレン先生は大袈裟に両手を広げた。
「ポーカーって知ってる?」
はい、と手を挙げた児童に聞く。
「ポーカーではエース、つまり数字の一が一番強いわけだけど、ジョーカーはエースになれるの?」
「なれます」
「じゃあ次に強いキングには?」
「なれます」
「クイーンにも?」
「もちろん」
やっぱり最強だ、とエレン先生はまた手を開く。
「今日の僕はね、トランプを持ってきたんだ」
鞄からトランプを出して、胸の前で模様の面を広げて見せた。
「この中からジョーカーを引いてくれる?」
一番手前の真ん中、女子児童が即座に首を振る。
「で、できないよ」
「どうして?」
「そんなのどこにいるか分からないじゃんっ」
「でもこの中には確実にいるよ」
「え〜……」
ひかないエレン先生との見つめ合いに敗北した彼女は、渋々と一枚を取る。
「ほら、だめだった」
「君は何をひいたの?」
「三つ葉の六」
「そうか。じゃあ次こそはジョーカーを引いてみて」
はいっと再びカードを突きつけられて、また取る。
「ほらあ、こんなの何回やっても無理だよ」
「君は何を引いたの?」
「ハートの三」
「そうか。じゃあ次こそはジョーカーを引いてみよう」
彼女はもういやだ、と言っていた。
何人かの児童がことごとく首を振って、でもエレン先生の瞳に負けて引く。そして溜め息を吐いていって次で五人目。その児童の手には七枚のカード。
「で、でた!ジョーカー!」
彼は後ろを振り向いて、皆が見えるようジョーカーをかざす。嬉しそうな彼の顔に、部屋は歓声と拍手で埋まる。
エレン先生も手を叩いて喜んだ。
「さすがだよ翔太。君にはきっと今日、いいことがあるね」
「よっしゃあ〜!」
運いいなあとか、まぐれじゃんとかそんな声でガヤガヤし始めた場を、エレン先生は「トゥットゥットゥットゥッ」と上顎を何度か舌ではじいて収めた。
「今のゲーム。もし僕の聞き方が違っていたら、君たちは首を振らずに快くやってくれたのかな」
一番手前の真ん中、最初の児童に戻る。
今度のエレン先生は、トランプの束から一枚のカードを引いて伏せて渡した。
「そのカードはジョーカーかジョーカーじゃないカードです。僕はジョーカーを出して欲しい。めくってみてくれる?」
彼女は少し間を空けてからカードをめくった。
「スペードの七」
「そっか。スペードの七か」
次の児童にも一枚渡す。
「そのカードは半分の確率でジョーカーです。僕はジョーカーを出して欲しい。めくってみてくれる?」
その児童はすぐさまカードをめくる。
「三つ葉のジャック」
「そっか。ジャックか」
次の児童。
「そのカードはジョーカーかもしれません。僕はジョーカーを出して欲しい。めくってみてくれる?」
食い気味にめくった。
「ダイヤの八」
「そっか。ダイヤの八か」
エレン先生の口角が上がる。
「どうしてそんなにすぐカードをめくれたの?」
ダイヤの八を持たせたまま、その児童に聞いた。
「ジョーカーが出ると思ったから」
「どうして?」
「エレン先生がジョーカーかもしれないって言ったから」
「僕を信じてくれたの?」
「うーん……っていうか、なんかそんな気がした」
「そんな気?」
「ジョーカーを出せるんじゃないかって、そんな気」
エレン先生は微笑むと、教えてくれてありがとうと言った。
拳をふたつ、肩の位置で構える。
「いつだって君たちの前には、やるかやらないか、できるかできないか。それしかないんだ」
やるの時とできるの時に右拳。やらないの時とできないの時に左の拳を前に出した。
「それがどんなに難しいチャレンジだろうと、たった一パーセントしかない成功率の低いことだろうと、君たちが挑む時点では半分の確率になる。できるかできないか、どっちか。それはやってみないと分からない」
児童の何人かが頷く。
「百回挑戦しても出来なかった逆上がり。百一回目は挑戦する?」
頷かなかった児童に聞いた。
「もう無理だと思って諦めちゃうかも」
「どうしてそう思うの?」
「だって百回も失敗したから」
「だけど一回目の君と百回目の君とでは、百回地面を蹴った君の方が成功に近い人間だろうね」
次の児童に目を向ける。彼も頷かなかった児童だ。
「千回転んだスキー教室。明日も挑む?」
「行かない、かな」
「どうして?」
「そんなに転んだら挫けちゃうよ」
「今の君が二本の足で歩けるのは、赤ちゃんの頃の君が何度も転んで頑張ったからだよ」
その言葉で、彼は顎に手をあてた。
「見て」
そう言って、エレン先生は何かの紙を取り出した。
「これね、僕の漢字検定六級合格証書。賞状みたいでしょ」
僕も持ってる、と端からひとつ聞こえた。
「六級は小学五年生と同じくらいのレベルなの。だから試験会場には小学生ばかりいて、ちょっと恥ずかしくなっちゃったよ。だって僕だけ大人なんだもん」
はにかむエレン先生に、皆がクスクス笑い出す。
「六級の合格率はね、当時七十五パーセントにものぼったんだ。ほとんどの人が受かるって言っても過言ではない数字だよね。だけど僕は落ちちゃった」
皆が静かになる。
「この合格証書はその次の年にリベンジした時にもらったもの。また会場では恥ずかしい思いをしたけれど、挑んだから合格できた。あそこで諦めちゃってたら、今この紙はここにないんだ。そしてまた次は一個上の五級にチャレンジしたいな、なんてそんな気持ちも生まれなかったと思う」
楓、と呼ばれた児童の背筋が伸びる。
「バスケのスタメンにはなれた?」
「まだ……なれてません」
「そうか。だけど職員室では君のスリーポイントシュートがすごいって話題だよ。期待されてるなって感じがした」
彼女は嬉しそうに微笑んだ。
竜星、と次の児童。
「難しいって言ってたゲームのボスは倒せたの?」
「倒せないよ、無理無理。あんなのクソゲーだ」
「だけど今までの中で一番君のレベルは高いんでしょ?クリアした時に流れるエンディング、早く君にも見てほしい」
その言葉に彼は半分お尻を上げて、うそ!エレン先生もやってるの!?どうやって倒したの!?まじで!?と次々に質問を飛ばす。
エレン先生はいたずらな少年みたいに舌を出し、シークレット、とだけ言った。
あとは、とエレン先生が次の質問相手を探し出す。
後ろの席の僕と目が合って、どきりとして首を振った。エレン先生の唇が、こんどね、と動いたような気がした。
皆に優しい顔を向ける。
「君たちのその小さな胸にある大きな目標。持ってるだけでも素晴らしいけど、せっかく持ってるなら叶えたいよね。目標達成への一番の近道はね、もう一度やってみることだよ。そしたら次に君たちの目の前に現れるのは、最強なジョーカーかもしれない」
腕時計に目を落としたエレン先生は言った。
「よし、じゃあジョーカーの話はこれでおしまい。本当は神経衰弱でもしたかったのに。喋りすぎちゃったかな」
席を立って、扉を開ける。
振り向きざまに、こう言った。
「何度チャレンジしてもだめな時もきっとある。その時は僕も一緒に泣かせてよ。とことん一晩中だって泣いちゃうんだから」
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