【エレン先生の短編小説03】今から子猫の話をします
「さあ、今日は子猫の話をするよ」
エレン先生は、そう言って席についた。
「あ、べつに子猫じゃなくてもいいんだ。子犬でも子象でも子フェレットだっていいんだけど……でもやっぱり、子猫にしよう」
皆はふふんと聞いていた。
小学校の図書室内の、特別室。
鍵は先生しか持っていない。それはエレン先生だけじゃなく、先生、と付く人ならば誰でも。
給食終わりの長い休み時間。その時間にここを開けるのは、エレン先生だけだ。
近辺の小学校を日替わりで訪れている英語担当のエレン先生は、ここで色々な話をする。
一週間前は牛乳配達員の話だった。
だけどそれは、本物の牛乳配達員の話じゃなかった。
二週間前はたしか、電池の話。
ゲームの電池の話をしているのかと思ったら、命の話に変わった。
そして今日は子猫の話。
学年性別問わずに彼のファンが、この部屋に集まった。
「ある雨の日のこと。一匹の子猫が歩いていました。ミャアミャアと鳴きながら、夜の小道でひっそりと」
何かの物語が突然に始まった。
「そこに女の子が通りかかりました。雨に打たれて歩く子猫を可哀想だと思ったその女の子は、思わず子猫を拾い上げ、家へと連れて帰ります。子猫はミャアと鳴きました」
皆は黙って聞いている。
「家に帰ると、お母さんは怒りました。勝手に拾ってくるんじゃない、すぐに返してきなさいと。女の子は言いました。せめて雨がやむまで待ってほしい。こんな中、外に返すのは可哀想。だからお願い、雨がやむまでここで飼わせて。お母さんは困りましたが、仕方ないわねと言いました。結局雨がやんだのは三日後で、女の子と子猫は三日間、一緒に暮らすことができました。最後に笑ってお別れを言うと、子猫もミャアと鳴きました」
ちゃんちゃん、と物語は締めくくられた。
少しの間隔をあけてから、エレン先生は聞く。
「この物語の感想を教えてくれる?君はどう思った?」
エレン先生の瞳がひとりの女子児童に向けられる。
「優しい女の子だなあ、と思った」
「どのへんが?」
「可哀想な子猫を助けたところとか」
「うん」
「反対したお母さんに、雨がやむまで待ってってお願いしたところ」
君もそうするの?と聞かれて、彼女はうちのママはこわいから無理と言っていた。エレン先生は笑って、僕んちもと言った。
「君はどう思った?」
彼女の隣に座る児童は、うーんとひとつ唸ってからこう答える。
「最初に、家の人に確認するべきだと思います」
「どうして?」
「この女の子はまだ子供だし、ペットを飼いたいならまず、家族に相談しなきゃ」
「じゃあこの女の子は間違っていた、そういうこと?」
「可哀想な子猫を助けようとしたから、そう言っちゃうと今度は女の子が可哀想ですけど……」
首を思い切り傾げる児童と同じ方向へ首を曲げたエレン先生は、難しいよね、分かるよと言った。
「直弘の意見も聞かせてよ」
指されるとは思っていなかったのか、彼はえ、えと慌てだす。
「えーっとえーっと、まあ、雨がやむまでは飼えたからいいんじゃん?」
「どうしてそう思うの?」
「だってお母さんもそれくらいならいいって思ってくれたんだし、女の子の願いも叶ったし、可哀想な子猫は雨に濡れなかったし、ハッピーエンドじゃん」
「なるほど」
顎に手をあてたエレン先生は深く頷いてから、皆の顔を見渡した。
「この物語のエンドはハッピーだった?それともバッド?」
まずはバッドから聞いてみよう。そう言って、エレン先生は手を挙げる。
「バッドエンドだと思う人」
皆の黒目が動き出す。
きょろきょろぐるぐる。誰か挙げるのかな、って思ってる。
「ワオ。ひとりもいない。みんな、気が合うんだね」
エレン先生は一度手を下げて、そして再び上に挙げる。
「じゃあハッピーエンドだと思う人」
全員の手が挙がった。
オーケーおろして、と言われて手を下げる。
「それじゃあもう一度、同じ物語を話すね」
今度の主人公は子猫だよ、そう付け加えてから、エレン先生は話し出す。
「ある雨の日、私は歩いていました。母さん母さんと鳴きながら、夜の小道でひっそりと」
子猫の鳴き声がミャアから母さんに変わったことに、皆が息を飲んだ。
「そこに知らない人間の女の子が通りかかりました。怖くて逃げようと思ったけれど、いきなり拾い上げられて、その子の家へと連れて帰られてしまいました。母さん助けて、と鳴きました」
皆の顔は、どんどんどんどん歪んでいく。
「家に帰ると、女の子と大人がもめ出しました。何を言ってるのかは分からなかったけれど、大きな声が怖かったです。私は殺されちゃうのかな、と思ったけれど、その女の子は毎日私を優しく抱いて寝てくれました。頭を撫でてくれました。女の子が悪い人ではないことが分かりました。だけど」
一旦口を噤むエレン先生。続きを悟った五、六年生が口元を覆った。四年生の僕の心臓はザワザワした。
「だけど」
エレン先生はゆっくりと口をひらく。
「だけど三日後、私は捨てられました。笑って手を振る女の子に鳴きました。どうして私を捨てちゃうの?と」
「ハッピーエンドだと思う人」
皆、下を向いていた。誰の手も挙がらない。
「それじゃあ、バッドエンドだと思う人」
一斉に上がる手。
「オーケー、おろして」
俯く皆に、エレン先生はヘイヘイヘイと活を入れる。
「ちょっとみんな、顔を上げてよっ。もしかして僕、おばけになっちゃった!?だから誰とも目が合わないの!?」
体をぺたぺた触るエレン先生に、皆の顔が綻んでいく。
「香織?」
手前の児童の名前を呼ぶ。
「なんですか」
「僕の声、聞こえる?」
「聞こえますよ」
「よかった、僕生きてるんだね」
皆が笑った。
「ひとつめの話とふたつめの話。同じ物語だけど、どっちの方の子猫が可哀想に思える?」
明るい声で、エレン先生は言った。
「ふたつめの話」
全員一致でそう答える。
「そうだよね。僕もそう感じるよ。だけど君たちにひとつめの話の感想を求めた時も、みんな一様に、可哀想な子猫だと言っていたね。ひとつめは子猫の心が分かる場面はどこにもなかったのに、どうしてそう感じたのかな」
健二、と呼ばれた児童が答える。
「あ、雨に濡れていたから」
「じゃあ雨に濡れた鳩も可哀想?」
「鳩は、べつに……」
「じゃあどうして?」
「子猫だから、かな。子どもの猫だから」
「鳩の子供は可哀想?」
「鳩は、べつに……」
彼はぽりぽりと頭をかいた。エレン先生は、過去に鳩と何かあったんだね、と呟いていた。
雪乃、と呼ばれた児童が答える。
「女の子が、その子猫を可哀想だと思っていたからです」
「でも君は、その女の子じゃないよ?」
「うーん、そうだけど……」
「それに、お母さんはその子猫を可哀想だとは思わなかった」
「はい」
「どうして女の子の気持ちと同じになったんだろう?」
「私が、その子と同じ女だから……?」
彼女のその発言に、近くの男子児童がお母さんも女じゃい、と指摘していた。
エレン先生は、最高のツッコミだよ、と破顔し手を叩く。
そして一転、真面目な顔に戻してこう言った。
「誰かの可哀想は、君たちが決めることじゃないんだよ」
皆がふーむと考え出す。エレン先生の言葉の意味を探る。
「路上で暮らすホームレスは可哀想かい?」
一年生の児童に目を向ける。
「可哀想でしょ」
「家がないから?」
「うん」
「僕にはホームレスの友人がいるよ。家賃がかかんなくて最高だって言っていた。日本国内を寝袋ひとつで旅できるから楽ちんだって」
へえっと皆の声が漏れる。
「車椅子でしか歩けない人は可哀想かい?」
今度は二年生の児童。
「可哀想って言っていいのか分からないけど、可哀想かも」
「自分の足で歩けないから?」
「う、うん」
「足を失くしたある男性が言った。足を失ってから人の優しさに触れる機会が増えた、声をかけてもらったり助けてもらったり。足を失わなきゃ、こんなに毎日感謝することはなかったかもしれない。僕の毎日は、愛で溢れていると」
皆の首が大きく動く。天を仰ぐように上を向いた児童もいた。
「産まれてから半年で死んじゃうカブトムシは可哀想?」
「可哀想」
「だけどその生涯で、幼虫から成虫にカタチを変えて闘って結婚して、子孫まで残すんだよ。僕たちは半年じゃ、あんよすら出来ないのに」
「散った桜の花びらは可哀想?」
「どちらかと言えば、可哀想」
「私が散ったから来年も綺麗な花が咲くんだって、誇らしく思っているかもしれないよ」
「アルファベットでいつも一番ビリの、Zは可哀想?」
「え、Z?うーん」
「これはZが喋れるようになったら聞いてみよう」
三年生、四年生、五年生と学年が上がるにつれて、質問が難しくなる。最後は六年生の児童。
「亜弓。君は、可哀想かい?」
その質問に、皆の目が丸くなる。
「可哀想じゃ、ないです」
「それなのに僕が、君は可哀想だと決めつけたらどんな気分?」
「い、嫌な気分になります」
「どうして?」
「だって、エレン先生には何も話してないから」
「え?」
「私の悩みとか不安とか、何もエレン先生は知らないから……」
こんなこと言ったら失礼じゃないのかな、そんな不安を全身にかもし出しながら言った彼女に、エレン先生は微笑んで、ベストアンサーをありがとうと言った。
「僕たちが誰かを可哀想だと思っていいのは、その誰かの気持ちを知って、初めてそう思っていいんだ。決して見た目や状況で判断してはいけない。僕たちが誰かに同情するにはまず、コミュニケーションをとること。これが大事」
だと僕は思っているよ、とエレン先生は付け足した。
「全く同じ状況に追いやられても、その人生を楽しむ者もいれば嘆く者もいる。現にパラリンピックに出ている人々なんて、輝かしい人生じゃないか。挫折もたっぷり味わっているだろうけど、彼らは前を向き続けた。そんな彼らの人生を可哀想だなんて言っちゃいけない。物語に出てくる女の子の反省点はね、勝手に子猫を可哀想だと決めつけたことなんだ。子猫は可哀想なんかじゃなかった。ただお母さんを探していただけ。それに気付けなかったから、結局女の子の行動で、子猫が悲しい思いをしてしまったんだね」
腕時計に目を落としたエレン先生は言った。
「よし、じゃあ子猫の話はこれでおしまい。やっぱり子猫にしておいて良かったよ。子像じゃ現実味がないもんね」
席を立って、扉を開ける。
振り向きざまに、こう言った。
「もしこの中に自分を可哀想だと思うくらいの悲しいことを抱えている子がいるならば、遠慮なく僕に話してね。そしたら僕は、抱き上げて連れて帰って、頭を思いっきり撫でて、ハグしながら寝るから」
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