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【エレン先生の短編小説05】今からハンバーガー屋の話をします

「さあ、今日はハンバーガー屋の話をするよ」

 エレン先生は、そう言って席についた。

「できればハンバーガー屋さんごっこもしたいんだけど、そんな僕に付き合ってくれるかな?」

 皆はふふんと聞いていた。

 小学校の図書室内の、特別室。
 鍵は先生しか持っていない。それはエレン先生だけじゃなく、先生、と付く人ならば誰でも。

 給食終わりの長い休み時間。その時間にここを開けるのは、エレン先生だけだ。

 近辺の小学校を日替わりで訪れている英語担当のエレン先生は、ここで色々な話をする。

 一週間前は鏡の話だった。
 鏡の話を聞いてからの僕は、相手の笑顔を見ると嬉しくなった。 

 二週間前はたしか、子猫の話。
 もしあの話の主人公が子像だったら、僕はあんなにもするりと飲み込めなかったかもしれない。

 そして今日はハンバーガー屋の話。
 学年性別問わずに彼のファンが、この部屋に集まった。

「ハンバーガ屋の話をする前に、見せたいものがある」

 エレン先生はそう言って、一冊のノートを取り出した。
 胸の前で、開いて見せる。

「これ、僕が日本に来た頃の日本語練習ノート。昨日家の棚から出てきたんだ」

 へたっぴだよね、とエレン先生が笑うから、児童たちも遠慮なく笑った。

「なにそれ!ミミズみたいな字!」
「先生って昔、バカだったんだ!」
「あはははは!なんだか『ぬ』がカタツムリみたい!」
「俺の方がうまいじゃん」

 いくら罵られてもエレン先生は怒らない。むしろ驚いたように目を広げる。

「こんなに下手な字なのに、これ読めるの?」
「読めるよー」
「ミミズみたいな字なのに?」
「だけどなんて書いてあるかはわかる」

 小さな頃からひらがなに触れてるだけあるね、とエレン先生は二回頷いてペンを持つ。

「じゃあ君の名前を書いてみて」

 一番手前。ノートとペンを受け取った一年生の児童が自分の名前を書き込んだ。

「はい。書けたよ」
「できれば漢字とカタカナも」

 うん、と言って再び書き込む。それをエレン先生に手渡した。

「ワーオ。僕の字よりうまいじゃないか。千佳ちかってこう書くんだね。お花の方だと思ってた」
「美しいとか、優れてるって意味だって」
「おうちの人の愛が感じられる名前だね」

 辞書で覚えるより君たちの名前で覚えた方が漢字の達人になれそうだ、なんてエレン先生は呟いて、ノートを閉じる。

「ハンバーガー屋へは行ったことあるかい?」

 ハンバーガー屋の話が始まった。

「あります」

 中央に座っている児童が答える。

「最近だといつ行った?」
「えっとー、先週の日曜日だったと思います。家族で」
「何を注文したか覚えてる?」
「はい。チキンテリヤキバーガーです」
「他には?」
「ポテトのSサイズと、ミルクシェイクだったかな」

 それだけで足りるの?とエレン先生は肩をあげた。

「君の好きなメニューは何?」

 隣の男子児童に尋ねる。

「フライドフィッシュバーガー」
「あとは?」
「ダブルフライドフィッシュバーガー」
「他には?」
「トリプルフライドフィッシュバーガー」

 そんなのあるの?とエレン先生が笑って聞くと、最後のは俺が考えたと彼は言った。
 部屋は笑いで包まれた。

「今日の僕はハンバーガー屋さんごっこがしたいんだ。僕がスタッフで、君たちはお客さん」

 あんぐり口を開ける児童たち。エレン先生は僕はおかしくなってないよ本気だよ、と真剣な目を向けてくる。

「この日のためにメニューも作ったんだ」

 そう言って、配られるメニュー表。カラーのB4サイズ。
 六種類のハンバーガーと、四種のドリンク。サイズの異なるポテトが三つ。
 それぞれの絵の横に、カタカナの名前。

「それじゃあいくよ。ふっふー!いらっしゃいませ〜」

 やけに陽気な店員を前に、苦笑いで顔を合わせた客たちだったが、ひとりの客が渋々手を挙げた。

「え、えーと……エビチーズバーガー、ください」
「かしこまりましたお客様。お飲み物はいかがなさいますかあ?」
「え。えーっとじゃあ、レモンソーダ」
「ありがとうございまぁすっ」

 キャピ。と今にもそんな文字が飛び出てきそうなエレン先生の店員姿に、クスクス笑いが溢れていく。

「次の方どうぞー」
「あー、えーっと。ビッグベーコンバーガーを」
「はーいっ。他にはございますかあ?」
「じゃあポテトのMで」
「はーいっ」

「次の方どうぞー」
「オレンジジュースとアップルジュースとメロンソーダください」
「はーいっ。ハンバーガーはいかがなさいますかぁ?」
「ハンバーガーはいらないです」
「お客様変わってますねー。ここはハンバーガー屋なんですけどー。しかも一名で三杯飲むとかありえなーい」

「次の方どうぞー」
「トリプルフライドフィッシュバーガー」
「申し訳ございませんお客様。そちらのメニュー表の中からお選びいただけますでしょうかぁ?」
「トリプルフライドフィッシュバーガーも置いてないのかこの店は!けしからん!」
「やだわ、クレーマーってまじこわーい」

 ハンバーガー屋さんごっこが段々とコントに変わってきたところで、エレン先生は一旦店員役をやめた。

「それじゃあ次は、違ったメニュー表でやってみよう」

 メニューの中身は変わっていないんだけどね、とエレン先生は付け加えて、同じサイズの用紙を配り出す。
 手前の児童から順々に、えっという声が抜けていく。

「何この字」

 ひとりの児童が聞いた。

「僕が作った文字だよ。名付けてエレン文字。かっこいいでしょ」
「これじゃあ読めないよ」
「うん。だから工夫して、注文してみて」

 場が一気に静かになる。ひとりひとりが考え出す。
 読めないメニューを、どうオーダーするか。

「いらっしゃいませ耕太こうたさん」

 今度の店員は旅館の女将風で、客の名前を知っているようだ。

「どれになさいます?」
「えーっと……ハンバーガーを……」
「当店には六種類のハンバーガーがございます。どれにいたしましょう」
「えーっと……この、右から二番目の……」
「申し訳ございませんお客様。私の手元にはそのメニュー表がありませんので、ハンバーガーの名前で注文してくださいまし」
「な、名前って言われても」

 ドヤ顔のエレン先生に、彼は固まるだけだった。

「いらっしゃいませ色葉いろはさん」

 名前を呼ばれた児童は頭を抱えた。

「ド、ドリンクください」
「当店には四種類のドリンクがございます」
「炭酸のやつで」
「炭酸は二種類ございます」
「こっちの方」
「こっちとはどれざんしょ」

 彼女も石のように固まった。

「いらっしゃいませ創志そうしさん」

 高学年ならばと皆の期待がかかる。

「店員さんのおすすめをください」

 お!と皆の目が輝いた。
 エレン先生も驚いて、ヒューイと口笛を吹いた。

「全部でございます」

 ああーと嘆息が漏れる。

「じゃ、じゃあ、全部ください!」

 エレン先生はまた口笛を吹いた。


「文字が読めないと、いかに大変かが分かったね」

 いつものエレン先生の口調に戻った。

「さっきまではあんなにスラスラ注文できていたものが、何ひとつとして頼めなかった。これは僕たちが日頃いかに文字に頼って生きているかって。その証明だ」

 文字が読めなくて苦しんだことある?の問いに、全員がないと答えた。

「それはそうだ。なんせ日本の識字率は九十九パーセントだからね。識字率っていうのは文字の理解や読み書きができる人の割合のこと。世界にはね、十人のうちたったの三人しか文字を読めない国もあるんだ。学校に行けなかったり差別だったり戦争だったり。理由はさまざまだよ」

 想像してみて。エレン先生は手を広げる。

「風邪をひいたおばあさんが、病院にお薬をもらいに行きます」

 果林かりん、と児童の名前を呼ぶ。

「このおばあさんは全く読み書きができません。何に困るかな」

 ふーむと彼女は考える。

「受付がどこか分からない」
「あとは?」
「問診票が記入できない」
「それから?」

 首を傾げる彼女にエレン先生は、こう聞いた。

「そもそも病院にはすんなりと行けたのかな?」

 エレン先生の顔の横。掲げられた拳。

「バスで行くと仮定しよう。まず、どのバスに乗ればいいのか分からないよね。だって文字が読めないんだから」

 一本の指を立てる。

「まわりの人に聞いて病院行きのバスに乗れたとするよ。どこで降りたらいいのかが分からない。停車するたびに運転手さんが教えてくれればいいけどね」

 もう一本、指を立てる。

「病院に着いても受付の場所が分からない。問診票が書けない。処方箋を手に薬局に行ってもレジに表記される金額は読めない。なんとかもらった薬を一日に何回飲むのか忘れちゃってももう確認ができない。薬局の袋に書いてある電話番号の数字だって分からないんだから」

 両手を使って、六本の指が立てられた。
 そしてその指を立てたまま、児童ひとりひとりの顔を見る。
 ノートに名前を書いた児童とは、一番最後に目を合わせた。

「たった小学一年生の君が君の名前を三種類にも分けて書けるのは、すごいことなんだ」


「読み書きができるというすごい武器を持った君たち。文字が読めると何ができる?」

 君、と指された児童が答える。

「本が読めます」
「本が読めるとどうなるかな」
「知らなかったことが知れたり、ファンタジーの世界に引き込まれたり」

 素敵な表現の仕方だね、とエレン先生は微笑んだ。

「文字が書けると何ができる?」

 君、と指された児童が答える。

「お手紙が書ける」
「どうしてお手紙を書くの?」
「言葉じゃ言いにくい気持ちを伝えたり、遠くに住んでるおじいちゃんに私は元気だよって報告できるから」

 僕もそんな孫が欲しいと言ったエレン先生には、上級生からハニーへのプロポーズが先だよーとツッコミが入った。
 エレン先生ははにかんでから、真面目な顔で言う。

「読む、書く。この武器は生涯ふんだんに使ってほしい」

 皆はうんと頷いた。

「さっきのハンバーガー屋さんごっこのお店はね、実際に存在したんだよ」

 ハンバーガー屋の話に戻った。
 皆がええっとざわつき出す。

「正確には一日限定のサプライズ営業みたいなものだったけど、メニュー表の文字をあえて読めないオリジナルのものにしたんだ。何も知らずに訪れた客たちはビックリしただろうね。だって注文するのに肝心な、ハンバーガーの名前が分からないんだから」

 それでどうなったの、買えたの、どうしたの。
 そんな質問が一瞬で飛び交う。ことごとく失敗したさっきのクリア方法を皆、知りたがっている。

「反応はさまざまだったらしいよ。オーダーができずに怒る人もいれば、素直になんて書いてあるのかと店員に聞く人もいた。試しに読んでみて、言葉にならないハンバーガー名を口にした人もいたって。僕は怒る人以外を尊敬する。今日の君たちもそうだけど、諦めないで試行錯誤する人間って本当素敵だよ」

 だけどこんな人もいたんだ、とエレン先生の顔が少しだけ暗くなる。

「諦めて帰っちゃう人」

 声のトーンまで下がった気がした。

「読めないことを人に言えなくて、聞けなくて。食べたいのに食べられなかった。こんなに残念なことはないよ。せっかくそのお店に行ったのに。お金だって握りしめて」

 コホンと咳払いを挟む。

「九十九パーセントの日本人が読み書きできるからよかった、じゃなくて。一パーセントの人は読み書きができないんだってこと、忘れないで欲しい」

 その言葉に、皆が息を飲む。

「ディスレクシアっていう障害がある。かけっこや算数が苦手なのと同じで、生まれつき文字が苦手な人はいるんだ。優しい君たちは算数が苦手な子がいたら教えてあげるだろう?だからもし文字が苦手な人がいたらバカとかそんな酷い言葉で片付けないで、助けてあげるんだ、サポートしてあげるんだ。目には見えない何かを抱えている人は、この世の中にたくさんいるんだから。僕がもし文字のことで悩んでいる人だったら、ノートを見せた時の君たちの反応はとてもショックだったろうね」

 腕時計に目を落としたエレン先生は言った。

「よし、じゃあハンバーガー屋の話はこれでおしまい。なんだかお腹が空いてきたよ。給食を食べたばかりなのに」

 席を立って、扉を開ける。
 振り向きざまに、こう言った。

「子猫の話を聞きにきてくれた子たちは分かっているだろうけど、読み書きができない人を勝手に可哀想だなんて思わないでね。アインシュタインは小さい頃文字が苦手だったけど得意を伸ばした結果、ノーベル賞を受賞した。オウサム」




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