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【エレン先生の短編小説06】今から卵の話をします

「さあ、今日は卵の話をするよ」

 エレン先生は、そう言って席についた。

「小さい頃、母に頼まれて卵を買いに行ったんだけど、僕は帰り道に転んじゃったんだよね」

 皆はふふんと聞いていた。

 小学校の図書室内の、特別室。
 鍵は先生しか持っていない。それはエレン先生だけじゃなく、先生、と付く人ならば誰でも。

 給食終わりの長い休み時間。その時間にここを開けるのは、エレン先生だけだ。

 近辺の小学校を日替わりで訪れている英語担当のエレン先生は、ここで色々な話をする。

 一週間前はハンバーガー屋の話だった。
 世の中にはそんな人がいるのだと、知るきっかけとなった。 

 二週間前はたしか、鏡の話。
 鏡の話を聞いてからの僕は、相手の笑顔を見ると嬉しくなった。

 そして今日は卵の話。
 学年性別問わずに彼のファンが、この部屋に集まった。

「卵は割れちゃうしとても痛いしで落ち込んでいると、通りすがりのおばあさんが声をかけてくれたんだ。ぼく大丈夫?って。すごく嬉しかった」

 優しいおばあさんだと思わない?と投げかけられて、皆はうんうんと頷いた。

「そのおばあさんは手首に包帯をしていたの。だから僕も聞いた。おばあさんは大丈夫?って、手首を指差して。そしたらおばあさんは大丈夫だよって頭を撫でてくれたんだ。お医者さんに診てもらったから平気だよって。角の欠けた食器で怪我をしちゃったんだって」

 ひとりの児童と目を合わせる。

「君は先週風邪をひいていたね。病院には行ったの?」
「行ったよ。薬飲んだらすぐ治った」
「それはよかった。君の笑顔は僕の元気の源だから」

 エレン先生は机に肘をつき、両手を顔の前で組んだ。

「人間って素晴らしいよね。落ち込む人には声をかけてあげるし、怪我も病気も治してあげる。それが子供でも老人でも。僕たちは日々人間に支えられて生きてるんだってつくづくそう思うよ」

 うっとりし出したエレン先生の前、皆の頭にハテナが浮かぶ。
 ええっとええっと、今日の話はたしか──

「卵は好きかい?」

 そう。卵の話だ。

「君の好きな卵料理は何?」

 エレン先生に見つめられた児童が答える。

「オムレツです」
「最後に食べたのはいつ?」
「今朝も食べました」

 ご飯にもトーストにもあうよね、と言ってエレン先生は微笑んだ。

「君の好きな卵料理は?」

 次は端に座る児童に聞く。

「茹で卵なら何個でもいけちゃう」
「分かるよそれ、気が合うね。最高何個食べたことある?」
「この前母ちゃんが茹でた十個全部食べて、超怒られた」
「ごめん僕はそんなに食べられない。やっぱり君とは合わないよ」

 あははと皆が笑って、エレン先生が二回手を叩く。

「君たちが食べる卵は牛肉や豚肉みたく生き物の命を頂いてるの?それともじゃがいもや豆とかと一緒かな?」

 肉でも野菜でもない卵。何に分類されるか皆が悩む。

「君はどう思う?」

 指された児童は、顎を触る。

「生きてはいないから……命を食べてるわけじゃないと思う」
「じゃあなんだろ?」
「ふつーに木の子とか野菜とか、そっちと一緒。あ、どっちかって言うと牛乳の仲間だ」
「牛乳?」
「卵は生きてる動物から出てくるものだけど、そこに命があるわけじゃないから牛乳と一緒」

 分かりやすい例えだね、とエレン先生は感心していた。

「家庭用冷蔵庫に卵のスペースが設けられているくらい、僕たちの食生活に欠かせない卵。卵はどこからきたの?」

 黒目を転がし、指名する児童を探す。

優馬ゆうま
「えーっと、工場?卵の工場」
「工場ではどうやって卵を作る?」
「作るっていうか、産ませるんでしょ?」
「誰に」
「ニワトリ」
「オス?メス?」
「メス」

 大正解、そう言ってエレン先生は次の児童の名を呼んだ。六年生の女子児童。

なぎさ。卵の工場は養鶏場とも言うんだけど、養鶏場にいるニワトリが百匹だとして、メスとオスの比率を想像してみてくれるかな。ちなみに食用のニワトリも育ててるとしてさ」
「比率……うーん。メスが60で、オスが40くらい?」
「どうしてそう思うの?」
「卵も産めるしお肉にもなるメスを多く育てていて、オスはお肉にしかならないから少なくていい」

 難しい質問だったのにすぐ答えてくれてありがとう、とエレン先生はお礼を言った。

「僕もそう思っていたよ。でもね」

 突然見せる、真顔。

「養鶏場にいるニワトリは全部メスだよ。一部の養鶏場を除いてね。オスはどこへ行っちゃったんだろう」

 皆がうーんと考え出す。

「部屋を見渡してみて」

 その言葉でぐるっとまわりを見る。

「この部屋には女の子もいるし男の子もいるよね。教室にだって男子はいるし、街を歩けば男女問わずに歩いている。だけど養鶏場にはメスしかいないんだ。ニワトリのお母さんはオスだって産むのに。産まれたオスたちはどこへ行ったの?」

 ひとりの児童が手を挙げる。

「オスはオスで、違うとこに固まっているんじゃないですか?」
「違うとこって?」
「食用専門のニワトリを育てる工場」
「スーパーで売られているニワトリのお肉は全てメスだよ」
「え、そうなんですか?」
「僕が知ってる限りでは」

 訪れる無言。
 ひとりの児童が手を挙げる。

「動物園」
「全部のオスが動物園に行っちゃったら、敷地の半分がニワトリコーナーになってるだろうね」
「じゃあペットショップ……にはいないもんねえ」
「見ないね」
「それじゃあ、ん〜……」

 首を傾げる児童たち。僕も腕を組んだ。
 児童の顔に降参の色が見えたところで、エレン先生は言った。

「オスはね、殺されちゃうの」

 しーんとなった。悩んで唸る声もやんだ。

「オスは卵を産めない。だってオスだから。努力すればどうなるっていう問題じゃない。それは僕たち人間の男だってそうだよ。だけど僕たちは殺されないよね。でも養鶏場のニワトリのオスは殺されちゃうの。卵を産めないって理由で。たったそれだけで」

 眉を寄せるエレン先生。

「どうして食べてあげないんですか」

 ひとりの児童が聞いた。

「食べればいいじゃないですか。オスだってせっかく産まれたんだから、どうせ殺すんだったら食べてあげればいい」

 エレン先生は胸に手をあてて、首を振った。

「メスの方が柔らかくて美味しい。ただそれだけで、スーパーにも並べない」

 どうやって殺されると思う?そう聞いておいて、エレン先生は即座に人差し指と首を横に振る。

「ごめん、今のは忘れて。こんなの君たちにあれこれ想像させるべきじゃない」

 ふうっと息を吐いて、唾を飲む。

「オスの最期が知りたくて調べたよ。だけど世界で行われている二種類の殺され方を知って、三種類目を調べるのはもうやめた。勝手に手が止まったんだ。産まれたばかりのヒナの残酷すぎる最期に涙が出た」

 肩を落とすエレン先生。皆もしゅんと暗くなる。

「不平等だよね。もしそのオスが人間だったら、転べば心配してあげて怪我したら病院に連れて行って、熱が出ればお薬をあげるのに。人間は人間の命以外をどう思っているんだろう?」

 スズメが街を歩いているのは見たことある?と、一年生の児童に聞く。

「ある」
「僕もある」

 野良猫は見たことある?と、次は二年生。

「ある」
「そうだね」

 じゃあ野良犬は?と、三年生に。

「ないかも」
「僕も日本では見たことない。どこにいるんだろう?」
「保健所、だったけな。テレビでやってた」
「そこには犬だけ?」
「猫もいたと思う」
「飼い主が見つからなければその犬猫はどうなるんだっけ」
「……殺される」

 うんと深く頷いて、エレン先生は辛そうな表情を見せた児童に、優しい瞳を向けた。

「数ヶ月前。とある養豚場で飼育している五千頭の豚のうち、子豚二頭が病気になったよ。豚たちはどうなったと思う?」

 四年生の児童に聞く。

「殺された」
「病気の二頭が?」
「うん」
「ちがうよ、全員殺された。病気にかかっていない豚も含めて五千頭」

 山に食べる物がなくて町におりてきたイノシシは?と、五年生に。

「殺されます」
「うまく追い払うことが出来なければそうなるね。元々はここだって山だったのに」

 スズメは殺さない人間がどうしてそんなことをするの?と、最後は六年生の男子児童に聞く。
 彼は大きく背を反ってしばらく考えた後に、こう言った。

「人間が病気になったり、怪我したりしないように?」
「そう。全ては人間が人間を守るため。快適に暮らすためだね」

 コホンと咳払いを挟む。

「僕たちが日々口にする食べ物はね、ひとつ食べたらひとつの命を頂きました、じゃないんだよ」

 皆がふんふんと聞いている。

「豚肉一切れだってチキン一本だって、食卓に並ぶにはたくさんの命の犠牲があった。病気も治してもらえずに食の安全のため殺される命。出荷されてもスーパーで売れ残って捨てられてしまう命。目の前に出された命はたったひとつでも、君たちの食べ物の裏には数え切れないほどの生物の命が隠れているんだ」

 命なき卵にだってそうだよ、とエレン先生は言った。

「卵一個頂くには大勢のオスの命が犠牲になっているんだ。産まれたばかりのまだ可愛いヒヨコだよ。僕は子供の頃に地面で割ってしまった卵をすごく後悔している。割れた瞬間ゴミに見えてしまった自分を最低だと思──」

 エレン先生の言葉が止まる。ひとりの児童が手を挙げたから。

香織かおり、どうしたの?」
「私、もう食べたくありません」
「え?」
「肉も卵も食べない。みんながそうすれば、命を無駄にせず過ごせるでしょう?」

 君はなんて優しい心の持ち主なんだ、とエレン先生は両手を胸に置いて噛み締める。

「実際にそういう人もいるよ、だけどね」

 人差し指が立った。

「ニワトリのオスの大量さっ処分の件に関しては世界でも問題視されていて、有精卵を多く取り扱うようになった国もあるよ。無精卵はメスだけで産めるけど、有精卵はオスがいなくちゃ産めないからね。あと単純に、卵の価格をあげて消費を抑える国もある。人間がばかばか食べなければ犠牲になる命も減るって、そういうことだね。野良犬の件も保護活動に熱心な人々が必死に命を助けようと動いているよ。人間は自分たちがいつだって正解だなんて思っていない。色々な考えをぶつけて重ねて、間違ってると思うことは正していく力があるんだね」

 ひとりひとりの児童の顔をゆっくりと見るエレン先生。
 一番後ろの席の僕を、今日は最初に見てくれた。

「命はみんな平等。地球はみんなのもの。このふたつを常に胸に感じてくれていれば、君たちが世界を変えられるよ」

 腕時計に目を落としたエレン先生は言った。

「よし、じゃあ卵の話はこれでおしまい。こういう話、どうして授業ではあまりやってくれないんだろう」

 席を立って、扉を開ける。
 振り向きざまに、こう言った。

「生きるか死ぬか自分自身で選べる今日の君たちは、今この瞬間の命を大事にしてね」



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