平等の定義
選挙が近づいてきた先日、ある方と話したこと。
それは「平等」の定義。
例えば男女。
男女には違いがあるわけで、それをすべて同じ土俵にあげなければならないというのはおかしな話だよねと。
そもそも、比べること自体が間違っていると思うんだよねと。
実はわたしも最近そんな風に思うことがあったりする。
例えば些細なことなんだけれど、会社の女性上司が「男性は、女性に比べて仕事できなくても出世が早いからいいよね。ずるいよね。」と言った。
まあ、わたしは出世というもの自体に興味がないので(結果は後から付いてくるものだから、とにかくやるべきことをやるしかないよねという考え)、そもそもその話にたいして共感もできないわけですが、けれども彼女は彼女なりにいろいろあってそう感じたのならそれはそれでいいと思うんです。
ただ、そう言っておきながら、何か重い荷物を運ぶとなったら「これは男性にお願いしよう。」と言い出す。
これってフェアじゃないよねって思うわけです。
都合のいい時だけ不平等だといい、都合の悪い時は自ら不平等を率先して行なっていると思うんですよね。
こういうことがどうして起きちゃうのかなと言えば、なんでもかんでも「権利」を主張するからだとその方に言われて、ああ、なるほどねぇと腑に落ちたんです。
そんなことよりも、お互いのいいところを活かせるように、お互いを尊重することが大切だよねという話になりました。
思えば「権利」というものは、いつの時代もいろいろなことで要求され、権利が手に入ることで可能なことが増えていることは事実だと思います。
例えば選挙にしても、明治の時代はもちろん男性のみに与えられた権利で、さらに納税額を一定額満たした者でなければならず、満20歳以上のすべての男女に選挙権が与えられるようになったのは昭和20年のことです。
そして昨年には年齢が18歳に引き下げられたわけですが、きっと昔の庶民は欲しくても得られなかった選挙権が当たり前に得られるようになったら、今度はそれを「義務」だから面倒であると考える人が増えてしまい、半分しか選挙に行かない。
もちろん、わたしももっと若い頃はそう思っていたこともあるし、「忙しい」なんて言い訳をして行かないこともあったんですけれど、これは「権利」なのだから、むしろ喜んで、誇りを持って行かないといけないよねと思うんですよね。
人というのは勝手なもので、無い時は手に入れようと一生懸命になるくせに、手に入ると途端に気持ちが冷めたりしてしまう。
けれどこの当たり前の「権利」をまずはクリアして、他にも主張したいことがあるならするべきだよねと思うわけです。
自責の念も込めて、とりあえず選挙には行った方がいい。
自分のために。