真実はいつもひとつ!?あなたは、どの事実を見ている?それで結果が変わるよ!
ものごとの解釈の仕方って、たくさんあるよね。さらに、実は、私たちが日々目にする「事実」そのものをどのように観察するかも、自分で意図的に選んでいる。だから、何を事実として受け入れるか、その見方によって、同じ出来事も全く違う意味を持つことがあるんです。
事実の観察も選択だから
私たちが経験する出来事や事実は、必ずしも一つの正解があるわけではない。事実そのものは、たくさんの観点から見ることができる。例えば、誰かと会話したとき、その内容をどう受け止めるかで、同じ会話でも全く違う感想を持つことがあるよね。
たとえば、ある友達が「今日、すごく疲れたんだ」と言ったとき、その「疲れた」という言葉をどんな視点で捉えるかで解釈が変わる。この違いを感じてみてほしい。
視点1:親しい友人として見ると
「ああ、最近忙しそうだし、心配だな。」と、その疲れを気遣い、相手の体調を心配する。
視点2:仕事のパートナーとして見ると
「あ、あの人はいつもこんな感じだから、体調が良くなくても業務をこなせるんだ。」と、その言葉に対して冷静に業務遂行の結果だけを見ている。
視点3:自分の気分で見ると
「ああ、私も疲れてるし、今日は自分も大変だな。」と、その疲れを自分の状況に照らし合わせて感情的に捉える。
同じ「疲れた」という言葉でも、見る角度が違えば受け取り方も変わるよね。これが「事実の観察」の選択性なんだ。
どれかひとつしか使ってなかったら、今日からぜひ、他の視点も、使い分けてみてほしいです。
きっと、ハッとすることがあったり、ラクになったりするはずだから。
事実をどう見るか 大きく見るか、小さく見るか
そして、さらに面白いのは、その事実をどれだけ細かく見るか、あるいは広い視点で見るかということ。例えば、誰かに「遅刻した」と言われたとき、それをどう捉えるかは完全にあなた次第だ。
細かく見るなら
「あの人、時間に遅れる癖があるな。」と、遅刻自体にだけ注目して、その人の時間に対する態度や習慣を観察する。
広く見るなら
「彼/彼女も忙しいんだろうな。遅刻しても、他に何か事情があるのかもしれない。」と、その遅刻を一部の出来事として捉え、相手の状況や背景を考慮する。
これも、解釈の違いではなく、事実をどれだけ細かく見たり、広く見たりするかの選択だよね。事実自体は変わらないけど、それをどう観察するかで、その後の解釈が全く違ってくるんだ。
観察の違いでズレる ― どの「事実」を見るか
同じ出来事でも、観察する事実が違えば、その後の思考や解釈も全く違う結果を生む。たとえば、雨の日に外出して濡れてしまったとき。
事実1: 雨が降った
これは誰が見ても同じ事実。だが、それがどんな意味を持つかはその後の選択にかかっている。
事実2: 自分が濡れた
雨の中、濡れてしまったという「自分が濡れた」という事実に注目して、それが不快だと感じることもできる。
事実3: 他の人は濡れなかった
他の人は傘を持っていて、自分だけが濡れてしまったという視点で見れば、「傘を持たなかった自分が悪い」と自己批判することもできる。
ただの「雨が降った」という事実でも、どこに注目するか、何に気づくかで、感じ方が変わる。これは、事実そのものに意味があるわけではなく、何を注視するか、どう選んで観察するかの問題なんだ。あなたはどれを選んでた?今度はどれを選んでみる?
視点を選ぶのは自分
結局、物事をどう見るか、どう解釈するかは、意識的にせよ、無意識的にせよ、自分の意図的な選択だということに気づくことが大事なんだよね。天気が悪くても、それが「最悪な日」と感じるのか、それとも「雨だからこそできることがあった」と感じるのか。自分でその解釈のフレームを選べるんだ。
さらに、見方を変えるだけで、同じ事実に対して大きな違いが生まれる。小さなことにこだわって狭く見るのか、全体を見て広く捉えるのか。どちらを選ぶかは、あなたが意図的に選んでいることなんだ。
まとめ
事実そのものは変わらなくても、それをどう観察し、どの視点から見るか、どれだけ細かく見たり大きく捉えたりするかは、あなたの選択だ。そして、その選択がその後の解釈に大きな影響を与える。
だからこそ、物事に対する見方や捉え方を意識的に選び、広い視点で全体を見渡すことが、最終的に自分にとって有益な結果を生むんだよね。