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自分が「読み返したくなるnote」って、どうやって書く?

文章を書いたあとに「この自分の文章、なんかもう一回読みたいな」って思うこと、たまに、ありませんか?でも、たぶん、自分の書いた文章を読み返して「いいな」と思うことって、そんなに多くないと思う。

そんなんだけど、ごく、たまに「これは何度でも読み返したい!」って感じる文章がある。で、それは決して「きれいな文章」とか「誰かにとって読みやすい文章」ってわけじゃないんだよね。むしろ、ちょっと雑だったり、まとまりがなかったりするくらいのほうが、自分にとって読み返したくなる文章になりやすい気がする。

なんでだろう? どうすれば、自分で読み返したくなるnoteが書けるんだろう? そんな話をしてみようと思う。

「人が読みやすい文章」=「自分が読み返したくなる文章」ではない


「人が読みやすい文章を書こう」ってよく言われるけど、じゃあ「読みやすい文章」って何?って思うことがある。

学校の読書感想文みたいな文章。

起承転結がちゃんとしてる

主語と述語が正しく対応してる

誤字脱字がない

「伝わりやすいように」書かれている

うん、たしかに、きれいな文章ではある。でも、それって「読み返したくなる文章」かというと、違う気がするんだよね。

少なくとも、自分が書いていて「うわ、めっちゃ面白い!」って思いながら書いた文章と、そういう「きれいな文章」を比べたときに、後者のほうはなんか他人行儀で、読み返してもピンとこない。

じゃあ、なんで「きれいな文章」は読み返したくならないんだろう?

「自分の思考パターンに合ってない文章」は、読みにくい


たぶん、「読み返したくなる文章」と「読み返したくない文章」の違いは、「自分の思考パターンに合ってるかどうか」なんだと思う。

普段の自分の考え方って、そんなに整然としてるわけじゃないよね?

なんとなく浮かんだことを、ぽんぽん話すときもあれば、ひとつのことをずっと考え続けるときもあるし、あれもこれも気になって話が飛びまくるときもある。

なんとなく、そういう「自分の思考のクセ」みたいなものがあるよなぁって。

で、それとズレた文章を書こうとすると、なんか違和感があるんだよね。

「こう書いたほうが伝わるかな?」と気を遣いすぎたり、型にはめようとして、本来の自分の言葉が出てこない。だからって、無難にまとめようとすると、自分の思考と合わなくなって、読んでても面白くない

そうやって「誰かのために書いた文章」って、確かに読みやすいかもしれないけど、でも「自分にとって読み返したくなる文章」ではなくなる。

だから、まず大事なのは「自分の思考パターンに合った文章を書くこと」なんじゃないかと思う。

汚くてもいいから、自分の思考のまま書く


じゃあ、自分の思考パターンに合った文章ってどうやって書くの?って話だけど、これはもう「汚くてもいいから、そのまま書く」しかないと思う。

きれいにまとめなくていい

話が飛んでもいい

途中で「あ、でもこういう考え方もあるな」とか思ったら、それも書いちゃっていい、てか、むしろ、その方が楽しい。

そうやって、できるだけ「自分が普段考えてること」に近い形で文章を書いたほうが、あとで読み返したときに「これ、自分の考えだな」って感じることができる。AIだとかんたんに書けるけど、普通に使うと、この満足感は得られにくい。

もちろん、書きながら整理していくのもアリだけど、最初から「整った文章を書こう!」って思うと、たぶん自分の思考とズレちゃう。

「1記事1テーマ」って言うけど、本当にそう?


よく「1記事1テーマにしたほうがいい」って言われる。

たしかに、そのほうがスッキリするし、読む人にとってもわかりやすいかもしれない。でも、本当にそうなのかな?って思うこともある。

だって、書いてるときって、あれもこれも浮かんできちゃうじゃん?

最初は「読み返したくなる文章」について書こうとしてたのに、途中で「文章の整理の話」にもなってくる。気づいたら「テーマの決め方」の話にもなってたりする

そういう「話が広がる感じ」って、実はめっちゃ楽しいんだよね。

で、書いてるうちに「あ、でもやっぱり1記事1テーマのほうが、後で自分の記憶に残りやすいな、のちのち整理しやすいな…」って思ったりもする。笑

こうやって、noteを何百、1000記事近くと記事を書いてくると、「やっぱり1記事1テーマがいいな」って結論に落ち着くことが多い。でも、それも一回「本当にそうなの?」って疑ってみるのが大事だと思う。

書いた文章が「資産」になっていく感覚


こうやって、自分の思考パターンに合った文章を書き続けていると、だんだん「自分にとっての資産」みたいになってくる。

これは必ずしも文章をとっておくとかだけの意味じゃない。頭になんとなくぼんやり残ってることも含めて。

「あれ、前に書いた記事、ちょっと読み返してみようかな」って思うことが増えるし、自分の思考のクセが見えてきて、「もっとこういうふうに書いたほうがいいかも」って調整できるようになる。「このテーマ、また書きたい!」って思うことが増えてきた。この記事みたいにね。

これが、またすごくいい。

書いた文章を読み返したくなるってことは、それだけ「自分にとって意味のあるもの」になってるってことだし、そういう文章を書いてると、どんどん書くのが、るんるん楽しくなる。

そういう意味でも、「きれいな文章を書こう」とか「人にとって読みやすくしよう」とか考える前に、「自分にとって読みたくなる文章」を意識するのが大事なんじゃないかなって思うのよ。

「自分が読み返したくなる文章」を書こう


「人が読みやすい文章」=「自分が読み返したくなる文章」ではないし、自分の思考パターンに合った文章 のほうが、あとで読みやすい。きれいにまとめるより、汚くてもいいから思考のまま書いたほうが自分にはいい。1記事1テーマは確かに大事だけど、一回疑ってみるのもアリ。書けば書くほど、自分にとっての「資産」になっていく。

そんな感じで、「読み返したくなる文章」について考えてみた。

で、このnoteも、あとで自分で読み返したくなる文章になってるかな? もし「うーん、もうちょっと整理したほうがいいかも…」って思ったら、それはまた次の記事に活かせばいいよね。

そんなふうに、試行錯誤しながら書いていくのが、結局いちばん楽しいのかもしれない。

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長谷部悠斗//お話を聴くひと😽
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