好きなことができなくなった私
こんにちは。
牧 菜々子です。
子どもが産まれてすぐの頃は、生きた心地がしませんでした。
子どもが寝ていても休めない。
子どもが起きていても休めない。
子どもが泣くのは自分のせい。
子どもの泣き声が、自分を責めているように聞こえました。
ノイローゼになるまで1人で抱え込み、吐き気で立ち上がれなくなりました。
周りの人に事情を話して、手助けをしてもらい、まずは心身の回復を一番に考えようと思いました。
ところが、そこからがまた問題でした。
自分は精神的な病気なんだから、笑っちゃいけない。
きれいな服を着ちゃいけない。
濃いメイクをしちゃいけない。
そんなことをしたら、怠けているだけと思われる。
仕事と家事と育児のどれも満足にできていないんだから、好きなことはやっちゃいけない。
好きなことを我慢していれば、病気でも許してもらえる。
だから、好きなことはやらない。
病気が治らなくてもいい。
いや、悪化するほうがラクなんだ…。
緩やかに自分を淵に追いやっていく中で、どう考えても、何度考えても、このままだと私は生還することができない、このままだと私は西洋医学的にも東洋医学的にも助からない、何をどう考えても最初から答えは決まっている、許してもらえなくてもいいから、好きなことをやるしかない、絶対にそんな自分は許せないけど、好きなことをやるしかない、そう判断しました。
子どもと離れ、休み、好きなことをする。
でも、笑えません。
何やってるんだ私は。
それでも、体を休めて、ちょっとでも楽しいと思えることをして…。
すると、自分を許せないことにも、慣れてくるのです。
「こんな自分は許せない!」という感情に、それほど揺さぶられなくなってくる。
「良い母、良い妻でいたいのに」という気持ちにも、勢いがなくなってくる。
下火になってくる。
慣れることで、ちょっとずつ、「これが自分なんだ」「これでもいないよりはマシかな」と、ハードルが下がってくるのです。
それと並行して、子どもの命を預かるプレッシャーにも、ちょっとずつ慣れてくる。
子育てにも慣れてきて、許せない自分にも慣れてくる。
「好きなことをしたら怠けていると思われる」と思って、病気が悪化することを知りながら好きなことを封印していたのは、今から振り返れば、セルフネグレクトそのものだったと思います。
自分を大切にするというのは、自分を困らせないこと。
自分がおいおい困るようなことをしないこと。
好きなことをしなければ、おいおい自分が困る。
そのことに気づけば、「好きなことができない」ということにはならないことを、私は自分自身の経験から知りました。
周りを見渡せば、好きなことをすることで笑顔になった人たちが、たくさんいるはずです。