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アートとしての文章
こんにちは。
牧 菜々子です。
アートというと、絵画や彫刻、オブジェなどの作品を思い浮かべますが、他にも思いもよらないものがアートになることがあります。
たとえば、島根県の足立美術館では、本物の庭を絵画として展示しています。
庭そのものを常に整え、いつ見ても絵画として鑑賞できるようにしてあるのです。
美術館なのですが、庭園専門誌の日本庭園ランキングで21年連続1位を獲得しています。
アートとしての庭が、高く評価されているのです。
そうであれば、たくさんの人が書いている文章も、内容を読まれるだけでなく、アートとして鑑賞される側面があっても不思議ではありません。
見るだけ、味わうだけの文章ということです。
鑑賞する文章というものは、私たちの実感から言っても紛れもなく存在します。
言語単体としてではなく、感性が生んだエネルギーの総体として読む人の目の前に立ち現れる時、文章はアートになるのではないかと思います。
見る人のために、時に愚直に綴られた文章が、言語の枠を超えてアートとして評価されるということもあるのではないかと思います。