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世界一のフーディーが書いた本『美食の教養』は、プロの仕事の本質も教えてくれる一冊
クリス智子さんの番組のPodcastを聞いていて、ふと気になった本、『美食の教養』を最近読んだ。
イェール大を経て、南極から北朝鮮まで127カ国・地域を食べ歩いている浜田岳文さんの著書だ。浜田さんは、食のレビュアーランキングで6年連続世界1位を獲得するなど、世界屈指のフーディーとして名高い。
”食の価値観を一新するグルメ入門書”との触れ込み通り、一般的なグルメ本とはひと味違う構成が印象的だった。レストランの選び方にとどまらず、美食とアート・音楽との共通点、料理の背景となるそれぞれの土地の文化にも触れている。1冊で人文学やら自然科学やら何冊もの本を読み倒してしまったような贅沢な読後感があった。
私自身は美食家とは程遠いし、チェーン店の安くて美味しいメニューも大好き。食には人それぞれ好みがあるのに、「ミシュランガイドブックなどで高く評価される料理って何が凄いの?」というのがずっと疑問だった。
そしてその疑問の答えがこの本にはあった。
どうやって美食を評価するのか。僕が心がけているのは、2点です。まず1点目は、その料理が「どれだけ考え抜かれているか」です。
中略
考え抜いているかどうかは、料理について質問してみるとすぐにわかります。考え抜いている人は、皿の上の全ての要素について、なぜそうしているか、ロジカルに答えられるからです。
美食を評価するうえで僕が心がけているポイント、2点目は、シェフが自分の考えをどこまで体現化できているか、いい換えると、どこまで料理に落とし込めているか、です。
中略
食の場合、どうしても最終的にアナログでアウトプットする必要があるので、この技術面が大事になってくるのです。
目指す完成形に向けて、食材、味付け、料理法など、全てが意味を成しているか、それを実現するための技術があるか。塩っけが強いなど、それぞれの地域の嗜好・食文化を踏まえたうえで、評価する。好き嫌いは関係ないのだ。
これは、私が端くれとして携わっている文章のお仕事の世界にも、通底する考え方だなぁと思った。
編集という仕事柄、文章を目にすると手を入れたくなってしまう。でも、たまに出会う「プロの仕事だなぁ」と思う文章は、いい意味で手の入れようがなかったりする。
わかりにくさはあるけれど、興味をかき立てるためにこの内容を後半に持ってきたんだな、とか。
文法的には間違っているかもしれないけれど、ここでくだけた印象を出すために言い回しを変えたんだな、とか。
リズム感を重視するとたしかにここは「しかし」でも「一方」でもなくて「だがしかし」だな、とか。
このジャンルの読者さんに示したら炎上しそうな内容が、丁寧にケアされているなぁ(逆に炎上覚悟で腹括って書いてるな)、とか……。
文章としてのわかりやすさがベースにあった上で(技術があるのは大前提で)、構成、言葉選び、言い回し、その全てに書き手の意図を感じるし、何度か推敲してここにたどり着いたんだなというのがわかる。
そういう文章は、どこかに手を入れると途端に成り立たなくなる。完成されているなぁと思う。
書き手のスタイルやその内容があまり自分の好みじゃなくても、解説・取材レポート・インタビュー・コラムなどジャンルを問わず、そういう文章には「参りました〜!」という気持ちになるのだ。
ライターさんであれば、推敲せずにはいられない(むしろ楽しい)という人がライターに向いているんだと思うし、その対象が絵画だったり、書道だったり、楽器の演奏だったりして、趣味として楽しめたり仕事として没頭できたりするのかもしれないなぁと思いました。
読む人によって色んな感想がうまれそうな1冊でしたのでぜひ読んでみてください〜!