親友とは器である
あなたにとってどこからが親友ですか?
歴が長かったら?優しかったら?毎回遊んでいたら?
何でも話し合えたら?お互いに親友同士と確認したら?
その答えや定義は人それぞれある中で、自分なりの答えを参考程度に紹介する。
結論から言うと、親友とはその相手を受け入れられるかによって決まる。
相手が「何でも言えて、どこにでも行けて、急な予定変更にも対応できて、
気を使わずに済んで…おまけに私たち親友だよね?」と
結構ヘビーなことを言ってきたとする。
これを友達ひとりひとりに当てはめた時に受け入れられる人と、
そうじゃない人が出てくるはずだ。
受け入れられる人たちこそが Congratsration! あなたの親友だ!
親友という言葉は、素敵だけど、時々重たくなる時だってある。
確かに何でも話せて気も遣わなくて楽だけど、
それが親友の定義なら僕の想う親友はとても一方的で重圧的だ。
僕の親友たちは本当に有り難い事に
僕の想いを大きな器を持って受け止めてくれている。
僕が気を遣わずに済むから親友なのではなく、
親友が僕を受け入れてくれるから親友なのだ。
そんな最高の器を持った親友たちといつまでも最高の関係でありたい。
大人になると、どこまでが知り合いで、どこからが友達か
難しくなってくる。その中でさらに親友の定義って難しいし、
僕も実際何人いるのかわからない。
でもその友達や親友に、仲がいいし、信頼してるからって
何をしてもいいわけではないんだよね。
当然、気を遣うし尊重することも大切で、お互いがどう思いやれるか。
一昔前は、「SNSを5分以内に返信しないと仲間外れにする」
とかいう恐ろしい話題もあったけど、
あんなのチョー利己的主義だよね。
相手のことを思いやるならば「携帯見た時に返信ちょうだいね。」
ぐらいじゃないと。相手も耐えきれなくなって器が割れて戻らなくなる。
大切な人だからこそ大切に扱わないとね。
自分に言い聞かすようにこの言葉を書き綴り、
「親友とは器である。」のエピソードトークを終了する。